色のすてきなプロダクトをふたつ。
両方とも、
色が美しいという見た目の価値だけじゃなくて、
そこにストーリーや楽しさをのせているところが
すてきです。
『フェリシモ 500色の色えんぴつ』
『カスタマイズヘッドフォン KOTORI』
色のすてきなプロダクトをふたつ。
両方とも、
色が美しいという見た目の価値だけじゃなくて、
そこにストーリーや楽しさをのせているところが
すてきです。
『フェリシモ 500色の色えんぴつ』
『カスタマイズヘッドフォン KOTORI』
新社会人おめでとう。
君は今春、どんな仕事に就いただろうか。
~今世界は不況にある。
自分だけが富を得ようとして暴走したり
仕事の真の価値を見失っていたり。
だから出発の今、真の仕事、生き方とは何かを問おう。
その仕事は卑しくないか。
その仕事は利己のみにならないか。
その仕事はより多くの人を豊かにできるか。
その仕事はともに生きるためにあるか。
一人でできることには限界がある。
誰かとともになら立ち向かい、克服できるはずだ。
会社とは、ともに働き、生きる家である。
仕事 は長く厳しいが、
いつか誇りと品格を得るときが必ず来る。
笑ってうなずくその日のために、皆で乾杯。
サントリー角瓶
私は「(文学、歴史両方の領域から)継子扱い」
されるたびに一つの絵を思い出すのです。
それはシエナの市庁舎にある、
ジョットーと肩を並べる画家であった
シモーネ・マルティーニの壁画で、
コバルト・ブルーの空を背景に
広い谷を一人馬で行く騎士を
描いた傑作です。
その右手と左手には、
高い城壁をめぐらせた町が見える。
この絵を想いうかべながら、
心の中で思うのね。
「文学」も「歴史」も
互いにその境は接し合っているのではなく
「両方の領域」は離れて位置し、
その中間には広い谷間(たにあい)が
開けているのだ、と。
だから私も、
人のひしめく「領域」に無理に入ろう
とする必要はなく、
テーマによっては「文学」に近づいたり
または「歴史」に近寄ったりしながらも
この絵の騎士のように、
自由自在に駆けまわっていればよいのだ、と。
塩野七生