昨日ぐらいから『不安もパニックもさようなら』を読んでいて、
今朝でだいたい70ページぐらいまで進んだ。
「よくある自虐的信念のリスト」や「思考の歪みチェックリスト」
に自分を照らして見ると、「他者に対する過度な要求」を除いた、
ほとんどすべてが自分に当てはまると思われた。
達成・愛情・服従・抑うつ・不安等における自虐的信念、
また、全か無か思考・過度の一般化・心のフィルター・結論への飛躍・
課題解釈と過小評価・「すべき」思考・レッテル貼り・非難等、
さまざまな「認知の歪み」が自覚されるところである。
また、不安と抑うつのチェックシートというか、簡易検査をやってみたところ、
うつに関しては、6段階評価でギリギリ6の「極度のうつ」に入っていて、
不安に関しては、こちらは6段階評価でギリギリ6に入らず、
つまり5の「深刻な不安」で、ともに臨床的介入が必要な範囲だった。
こういうのをやるといつもこんな感じになるのだが、
実際このような入院レベルの極限的状態で日常を送っている可能性もあれば、
単に記入を大げさにしすぎだったり、主観が入り過ぎていたりする可能性もある。
ただ、主観的操作があまり入らないはずのロールシャッハテストなどを受けたときも、
「悲観性」に関する指標があり、普通の人は0、悲観的な人は1とか2になる、
というところで、自分が7だったことを考えると、
このような状況でよく生きているものだ、といっても、ある程度妥当なのかもしれない。
もう10年以上、臨床的介入をこれでもかというほど受けているのに、
この状態なのだから、なかなか厳しい話ではある。
しかし、回復も希望も諦めるべきではないだろう。
今回はこの本にのっとって、できる限りやってみたい気もする。
この本では、不安の原因に関して4つの従来からある仮説を検討する。
それは、認知モデル・曝露モデル・隠された感情モデル・生物学モデルである。
認知モデルは、否定的思考が不安を引き起こすという仮説、
曝露モデルは、恐怖の対象の回避が、すべての不安の原因であるという仮説、
隠された感情モデルは、すべての不安の原因は優しさであり、
対立や怒りなどの否定的感情の抑圧にであるとする仮説、
そして生物学モデルは、脳内の物理・化学的な過程に不安を還元する仮説である。
この本では生物学モデル以外を比較的強く支持するようだ。
認知モデルによれば、不安は歪んだ非論理的思考が原因である心理的詐欺なので、
考え方を変えれば、感じ方も変えることができ、不適応な不安も解消できる。
これはまあ普通に理解できる考え方ではあると思うが、その方法が問題ではある。
それよりも、曝露モデルと隠された感情モデルの考え方には気づかされるものがあった。
まず曝露モデルだが、これは恐れている状況を回避することで不安は強化されるが、
逆に自らをその状況に晒すことが治療になるという考え方である。
確かにエクスポージャー法とかはよく聞くが、この理論に基づいているのだろう。
しかし、自分にこれを当てはめた場合、
なにを避けているのかに関しては一考の余地がある。
自分の場合、逆に恐怖の対象にわざわざ向かっていくような
無謀なチャレンジャー精神のようなものが見受けられるからである。
別にそうしたかったわけではないのだが、最初は人前でしゃべる仕事もしたし、
高校時代に対人恐怖を発症したときは、克服のために学校祭の合唱団のまとめ役になった。
最初に病院に行ったのは、それが大失敗した直後のことではある。
ただ、森田療法の理論などによれば、これはこれで筋の通った話ではある。
人は、人に気に入られようとすればするほど、人前でうまくやろうとすればするほど、
対人恐怖を募らせるもので、むしろ気にしないのが得策だからである。
そのことぐらいは当時も意識していたのだが、無駄ではあった。
というか、当時既に入手可能な対人恐怖の理論は割と摂取していたというか、
少なくとも国内トップクラスの成果を上げた勉強にもまして
取り入れようと最大限の努力をしていたが、なんともならなかった。
しかし、この理論によれば、なにか回避しているものがあるということである。
状況それ自体を避けているわけではないことから考えると、
まず仮説としては、他者の批判的評価だとか、
自分が自分でよくないと思う振る舞い方をすることを避けているという可能性がある。
この理論によると、この不安は幻想なので、失敗しても実は「最悪の事態」は起こらない。
確かに、最近も、悪く評価されるのではないかと思われる振る舞いをしないように
常に気を付けているし、それは評価が厳しいと思われる状況下においては
ますますエスカレートし、不安と緊張を強化しているようにも思われる。
さてしかし、この基盤にはむしろ、先の思考の歪み評価における、
自らの成功の過小評価と失敗の過大評価や、完璧主義的な自己評価の厳しさ、
また、他者の評価に対する感情的かつ根拠のない決めつけなどが
伏在している可能性もあり、それが結果の解釈も否定的に歪ませることで、
不安を強化するという、統合失調症的妄想的な過程も介在している可能性もある。
それとは別に、隠された感情モデルにも、考えさせられる面があった。
これは、対立や問題を回避するために優しくなることで感情を抑圧し、
その封印された感情がさまざまな不安の原因となっているという理論である。
(ただ、その問題が遠い過去にあることを否定し、現在にあるとみなす点で、
精神分析的な抑圧理解とはどうも異なるような印象を受ける。)
ここではある教育者の物語が語られた上で、心理過程を推理する問題が提示された。
自分はだいたいその、反動形成というと言い過ぎだが、抑圧的過程は推測できたが、
自分に当てはめても、いくつか思い当たる節はある。
先日も携帯の充電用品を持っていない友人に対して、
コードどころか充電のための電池パック(?)まで貸したが、
普通そこまでしないだろうし、これは対人不安の裏返しだとも思われる。
それ以外にも、彼らに対してはわざわざ気を遣いすぎな出来事がいくつかあるが、
対立的状況の回避行動だと言っても過言ではないとは思われる。
また、その理論によれば、封印し続けてきた感情を表現すると、通常不安は解消する。
この日記を、抑圧された負の感情の解放のカタルシス的な場だと解釈し、
これでバランスを取ってなんとかやっているという解釈も可能ではあるだろう。
実際、酷いことを書くくせにやたらコメントに対しては丁寧に返事をするが、
それも、この隠された感情モデル、優しさは不安であるモデルでの解釈も可能ではある。
しかし、こういった自己分析がなんになるのかはよくわからない面もあるし、
大学時代もこうやっていて最終的に不安発作を起こした経験があるので、
やりすぎもよくないかもしれない。
というか、やっぱり気分がますます悪くなってきた。
「自殺衝動テスト」でも専門家の臨床的介入が明らかに必要な領域とされ、
いのちの電話などにすぐに電話してくださいと勧められる状況ではあったが、
もうとっくにやっているのでなんとも言えない感じではある。
さしあたって明日の講義のために宿題をやらなくてはならないが、
なかなか気の乗る状況でもないので困った話である。
死ぬほど困った話であるとも言えるかもしれない。