こんにちは。
歌のコーチ、金丸悠子です。
ご覧くださいましてありがとうございます。

 

今回は、わたしのお仕事である「歌のコーチ」を

なんで、どうやって始めて、更になぜはまっているのかの第二幕です。

 

こちらが第一幕です。

 

 

お話は三幕構成で書いています。

 

前回のブログでは、プロットポイント1までご案内しました。

 

では「葛藤」の第二幕、始めます。

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・第二幕
 

広瀬先生からご伝授いただいた心技体は様々あります。

特に感激して、ずっと使い続けているイズムはこちら。

 

・歌は感情がメロディになって出て来てる。
・身体を上手に使って、楽に音をだそう。

・頑張って並にやる。

(もちろん一生懸命やるんだけど、気合を入れすぎると上手く行かない)

 

音 そのものを楽しむ歌い方一色だったわたしに、

新たな視点を意識させてくださった広瀬先生。

 

確かに、レッスンしていただく以前は、

悲しい曲を歌っても、なんだか明るい曲に聞こえる、と言われていましたが、

ある時、古株のお客さんから

「(バラードの時に)寂しい声が出るようになったねえ」と反応が!

気持ちが音に乗る、に少し近づけたのだと思います。嬉しかったです。

 

さて、ここでまた重要人物に出会います。

オリジナル曲作成をすすめてくれたYさんです。

 

Yさんは、作曲、編曲、DTMバリバリ、鍵盤もギターも金管もリード楽器も演奏できる、

センスばっちり、絶対音感ありの潔癖ミュージシャン。(めっちゃ褒めてる)
わたしの歌声を聞いて、オリジナル曲を作ってみませんか?と声をかけてくださいました。
どこで出会ったかというと、某IT企業です。

 

第一章でお伝えのとおり、わたしは歌の仕事もしながら、歌以外の仕事もしていました。

多かったのはお客様相談室やカスタマーサポートのような、CS業務。

CSはCustomer Satisfaction(顧客満足)です。

 

元々、誰かに何かを説明することが好きで、

必要な情報を、適した方法でお伝えすることで、

どなたかの役に立つのがとても嬉しかったのです。

自分の伝えたことでお相手が「!なるほど!」となる瞬間が快感でした。

 

ということで、数年間は、歌手・会社員・(家族が脚本家ゆえ、その)アシスタント、の

三足の草鞋を履いておりました。

 

さて、Yさんや、知人ミュージシャンの協力があり、

全曲オリジナル曲を収録したCDを作成することが出来ました。

本当に周りの人々に恵まれていると思います……。ありがたや~。

 

CDを発売すると人の輪も広がるわけで、シンガーソングライターの知人が増えます。

彼、彼女とイベント等でご一緒させていただいて感じたのは、情熱をかける場所の違い。

 

わたしが出会ったシンガーソングライターの皆さまは

「自分の声や気持ち、思いを伝えたい」エネルギーに溢れていて、

とても熱いものを感じました。これがやりたい!のような密度の高いエネルギーでした。
わたしは「自分の曲を通して、感情の旅行をしてくれたら嬉しいな~」とそんな温度感です。

 

ここで悩みます。
 

音楽を作るとき、演奏するときは本気だし楽しい。

可能ならば死ぬまでやりたいけど、オリジナルソングを作って

自分の気持ちを届けたいかと言えば、違うし、

そもそも、伝えたいメッセージは、たまにしかない。ふむ。

 

かと言ってジャズだけをバリバリ歌うのも、はまりきれない。ふむ。

 

歌手のみで生活したいかといえば、自分が歌って表現することを

毎日続ける生活が、どうも嬉しいこととしてイメージ出来ない。うーん。

 

加えて、会社員という働き方が正直苦手でした。

人に説明することや、仕事すること自体は好きなので、思いっきりやりたい。

ただ、毎日同じ時間に同じ場所に行くのがかなり辛かったです。


また、“上司”と呼ばれる存在が、なんだか苦手でした。

仕事上の立場で、わたしよりも責任があるのはわかります。
ただそれだけで、あたかも命そのものが尊いような振る舞いをすることが、理解できない。

きっと上司の方たちも、わたしを取り扱いにくいと思っていたはずです。ははは……。

もちろん、楽しくて素敵な上司の方たちもいましたよ!

 

恐らくは、もともと持ち合わせている 一人っ子、一匹狼思考の

 

・責任は自分で取るから、全部自分でやりたい(出来ないことはその筋の人に頼む)

・自分のペースやスペースが大事

 

これが爆発していたのだと思います。いまもですが。

 

そういうわたしが生きていく上で、気持ちよく努力出来る場所って、

どこなんだろうな、と。

 

このあたりで転機が訪れます。

ありがたいことに家族の脚本仕事が忙しくなってきたので、アシスタント能力を
向上させるべく、会社勤めを辞め、
シナリオの勉強を始めます。
(金銭的には常に綱渡り)

                 ↑ミッドポイントです↓


脚本の学校に通いました。
学校では、このブログで使っている三幕構成を始め、

シナリオの読み方書き方を学び、講師の先生のお話も含め、ものすごく楽しかったです。

その後も独学しつつアシスタントをしたり、自作のシナリオを書きました。

 

ただ、“夢中”にはなれないんです。

どうしても “がんばってる” になっちゃう。

 

シナリオ講師の先生の言葉が思いだされます。

「人は、自分の得意なことでしか世の中の役に立てないよ」

「得意な事とは、4,5歳のころ、時間を忘れて夢中になったことです」


は~。(溜息)

わたしにとってシナリオは、仕事のために勉強したもの。

お話を観たり考えるのは好きですし、学生時代から、求められてもいないのに

CMの企画書を書いたり、演奏会の原稿を書いたりしていました。

 

ただ、大人になった今、時間を忘れて夢中にはなれないし、

情熱は一瞬燃えても、絶対やり遂げる、という執念は湧いてこない。

 

プロの脚本家さんたちを見て感じるのは、

書いているときゾーンに入っているということ。

周りの音が聴こえなかったり、時間の感覚がなくなっているそうです。

別の次元にイっちゃってるんですね。

 

わたしは、ほんの少しのアシスタント的なことならば、

どうにか努力で出来るかもしれないけど、

一人で作品を生み出すことは出来ないなと思いました。

 

は~。(更に深いため息)

書けないし、会社勤めも苦手。

 

「わたし何なのさ……」と落ち込みました。

エネルギーもなく、母からは「やつれ鳥」と呼ばれるくらいゲッソリ。

(学生時代は“関取”と呼ばれていました。それはそれで酷い)

 

そのころは、脚本の勉強に集中すべく、音楽活動の数を減らしてました。

ただ、ありがたいことに、たまーーーにライブに呼んでもらい、

ほんのちょっと歌ってました。

 

そこで、ふと感じます。
なんだか自分、ライブの見せ方が変わったぞ。と。

また、お客さんやメンバーからも、褒めていただけることがあり、

なぜなのか、その理由を分析すると……。

 

シナリオを勉強したおかげか、曲やMCのなかで、伏線をはって回収したり、

曲順を三幕構成仕立てにしたり、

お客さんが自分事として楽しんでくれるライブはどんなものかを、

脚本の技術を使って、組み立てるようになっていたのです。

シ、シナリオの勉強してて良かった~!

無駄な事なんてないですね。すべては芸の肥やし……涙

 

構成が整うと、お客さんにも伝わりやすくなり、

お客さんが楽しいと、わたしも更に楽しくなります。

憧れだったゾーンに入れることも、何回かありました。

その時は本当に嬉しかったです。

 

シナリオの勉強をしてわかったことは、

感覚的に冴えていて、無条件で頑張れるのは、音楽だということ。

自分の音楽に対する思い入れを、自分自身で認めることが出来たのです。

わざわざ言葉にするのは野暮ったいし、

自分で腑に落とせていればいいのですが、わたし音楽頑張っていいんだな、と

許せたのでした。

 

ひょっとしたら、高校生の時の「プロはあきらめろ」の言葉が

「音楽を突き詰めても何にもならんよ」「だってあなたは出来ないからね」と

勝手に解釈されて、自身に鍵をかけていたのかもしれません。

 

そのあたりから、どうやってライブの構成を考えてるの?など、

方法を教えて欲しいという声を、ぼちぼちいただくようになります。

 

そこで、音楽経験で得た知識と、シナリオで学んだ構成技術、

元来の説明好きを使って、ライブMCの講師をやろうと思いつきました。

(まだここでは歌のコーチには辿り着かず)

 

そんな仕事は世の中にありませんが、やろうと決めました。

ものすごく気持ちは晴れやかで、思いついたときの感触は今も覚えています。

               ↑ここ、プロットポイントポイント2です!↓



ここまでお付き合いくださいましてありがとうございます。

第3幕に続きます。
 

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