こんにちは。
歌のコーチ、金丸悠子です。
ご覧くださいましてありがとうございます。

わたしは21歳から歌手活動を始め、現在に至ります。
歌のコーチは、2017年の春ごろから構想を練り、実際に始めたのが2017年の冬。
ずっと演者をしていた自分が、なぜ、教える側、裏方のお仕事を始めたのか。
しかも最高に楽しくて、この仕事に夢中になってるのはなぜなのかをお話しますね。

このブログを書く理由はいくつかあります。

ひとつは、なんで講師業を始めたの?とご質問いただく機会が多いからです。ありがたや~。
ふたつめは、やりたい仕事が何なのか、迷いながら探している方に向けて、
己の特性を活かせる仕事を見つけたり、作る参考になれば、とても嬉しいから。
最後に、自分自身の振返りのために。

 

「歌のコーチ」を見つけられるまで、結構な時間がかかったので量があります。

ブログは 三幕構成 でお送りいたします。

この表をちょいちょい入れれますね。

※三幕構成はアメリカの脚本家、シド・フィールド氏が理論化した脚本の構成方法です。

今回のお話はノンフィクションですが、流れを見える化することで、伝わりやすくしたいと願い描きました。

(厳密には、シド・フィールドの三幕構成と異なります)

ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事「プロットポイント(別名ターニングポイント)」

登場人物に新しい道標が与えられる「ミッドポイント」、このお話のラストであり、

新しい別のストーリーへ行くきっかけともなる「クライマックス」を抽出しました。


その時にわたしが何を感じ、どんな行動に出るのかなど書きます。

【なぜ歌のコーチになったか(why)】

3歳からピアノを始めて約40年間。

音楽を介して表現に触れていました。

音楽での困りごとがある方がいて、自身の経験や知識からのアドバイスが、
その方の幸せにつながるならば、ぜひお渡ししたいという思いから、

歌のコーチを始めました。
 

では、どういう流れ(how)で今に辿り着いたのか。

I will show you~♡
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・第一幕

誰よりも音楽を愛し、理解していると勘違いしていた少女 金丸は、
中学入学と共にブラスバンド部(担当はパーカッション)に入ります。
高校1年生とき、信頼している講師の先生に「将来音楽のプロ(楽器は設定せず)になりたい」と伝えたら「どの程度?」とリアクションをいただき、わたしは先生の質問の狙いがわからず。

今思うと、音楽をひとつの収入源にしながら、それ以外の仕事もやる心づもりなのか、
音楽1本で行きたいのか?と、バランスを聞いてくださったのだと推察します。
ただ、当時高校1年生、その選択肢を発想できませんでした。

「音楽を生活の糧にしたいです」とお答えしたところ

「それなら辞めなさい」と、アドバイスをいただきました。
獅子の子落とし的な振舞いをしてくださったのかもしれませんし、

試されたのかもしれないし、明らかに無理だと思われたのかもしれません。

 

先生の真意は聞くことが出来ませんでしたが、素直に受け止めたわたしは

「高校生の時点で、突き抜けた才能のある人しか、仕事に出来ないのか~」と、

なぜ辞めることをすすめられたのか、理由を聞くこともできず、勝手に落ち込んだものです。

職業音楽家の目標はいったん心の奥に引っ込みます。
※その先生のことは、全く恨んでないです♡純粋な事実として捉えております。

さて、自らプロ化希望の話はしなかったものの、

ありがたいことに他の先生や先輩方からは、

音楽のセンスがあるから(具体的にどういう仕事に向いてるかは判らないけども)

勉強して磨きそちらの世界へ行きなよ、と言われてました。

当時を振り返って思うのは、例え何人もの方に背中を押してもらえても、
ひとつの意見で、勝手に自分はダメだと決めてしまう場合もある、ということ。
 

音楽を仕事にすることは無理と言われたけれど、

音楽が好きな気持ちに変化はなく、演奏することを続けました。

 

高校卒業後は、人の気持ちに興味があったので心理学を学びました。

音楽関連の学校への進学は思いつきませんでした。

高校1年生の時の「それなら辞めなさい」のアドバイスが効いたままで、

自分はやるべきではないとセルフで呪いをかけていたのか……、

理由はわかりませんが、わたしの場合は、

自分のやりたい音楽が学校じゃない場所にある気がしていました。

どこかは分からないけど、そこじゃないことは感じる。

これは、はっきり覚えております。

 

たまに見せる嗅覚の鋭さと行動力を発揮し、専門学校の近くにあった大学のジャズ研で、

ドラムを続けます。

ジャズとジャズ研のサブカルな雰囲気はとてもしっくり来ました。

ただジャズドラムにはあまりハマれず、上達もせず。もやもやしておりました。

 

社会人になったあたりで、メロディーを奏でたい気持ちが溢れ、歌を始めました。

 

ここが21歳。歌は楽しかったです。

仕事をしつつ、歌の勉強をして歌う。

そんな生活が始まりました。

(歌以外の仕事と、歌仕事の兼ね合いについては、第二章で詳しく書きますね)

 

ビックバンドを紹介していただいたり、ジャズコンボを始めます。

ソロでお声掛けもいただけるようになり、

接待を伴う飲食店で、専属歌手として歌うことも。

 

さて、歌手活動はジャズで始まったので、自分の考えを伝えるような

「オリジナルソング」は持っておらず。
楽器をやっていたからなのか、歌詞を伝える事よりも、サウンドの中で

メロディーを奏でることに喜びを感じてました。

 

特にジャズは、アドリブに合わせて伴奏が変化したり、即興性や双方向性が強く、

同じ曲を演奏しても、同じ内容にはならないのが醍醐味。

その時だけの演奏を、お客様に楽しんでいただきたい姿勢で取り組みました。

 

ジャズの面白さ満載の動画 (最後の方特に)

※わたしがこれくらい歌いまくれるっていう意味ではないですぞ

 

 

そんななか、声の出し方、身体の使い方を教えてくださる先生を探しをしていたところ、

劇団四季ご出身の広瀬真弓先生に出会います。

この出会いがめちゃめちゃ大きかったです。ありがたや……。


↑プロットポイント1です↓



広瀬先生の第一印象は、キラキラと輝く女神。

「劇団四季で得た、疲れない声の出し方をレッスンします」とPRされていた記憶があります。

 

また、先生はミュージカルをしていらした方なので

「歌は、音に登場人物の気持ちが乗っかってるってことなのよ」と教えてくださいました。

 

なるほど……。 

いままで“役で歌う”という視点がなかった自分にとって、かなりの衝撃。

 

わたしは役で歌うことはないけれど、ただ、歌って気持ちを乗せるツールだよなあ、と。

身体と心がつながっているのは分かるから、

嬉しい気持ちの曲は、嬉しい身体、息、声で奏でるのが自然だなあ、と。

 

先生のレッスンは毎回発見ばかりでした。

身体の使い方のみに留まらず、表現を仕事にするってなんだろう?というビジネス脳も、

刺激していただき、学ぶところだらけ。

その後の歌手生活の礎となるさまざまを、広瀬先生から吸収することになります。

ということで、ブログ前編はここまで~!

 

いやはや、歌のコーチになるカケラすら見えて来ませんね~。

当時はわたしが講師業をするなんて思ってもいませんでした。


長丁場のお付き合いをありがとうございます。

引き続きお楽しみに~!

 

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