村長は河童だ
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Voyage

先週ニノのshowcaseを観まして、

6年ぶりの生ニノでして、

やっぱり生で観るパフォーマンスは、そこでしか得られない幸せな気持ちとエネルギーがあり、まだ3日前というのが信じられないんだけども

ふつふつとぽかぽかとずっと何かが残っている。


冷静に、嵐であるニノを観れるのはこれで最後だろうな〜とか思ってたし前回の投稿に書いたんだけど、アイドルニノを観られてうれしくもあり嵐としてではなく1人でパフォーマンスしている姿にせつなさも感じ。


そもそもなんで嵐はこうなって、結局なんだったんだっけ。。?と、思い始めて、

経緯は語られてるしちゃんと嵐からの言葉は尽くされてきたのだけど、でも一言で表せるものではないからこそ、受け取る側も何度も何度も彼らの姿を見ないとぼやけていってしまうし、新しい彼らの姿を見ているとなんだかよくわからなくなってしまう。


もう一度、Voyageを見直した。

1年半ぶりくらい、、?リアルタイムの配信時期は

直視したくなくて追えてなかったから、割と観たのは最近ではあって、でももうそこから1年以上経ってるのか〜。細かくはやっぱ忘れちゃうもんだな。


しっかりもう一度随所で泣きました。

というかこの状況になって、また1年半前に観た気持ちとは違うから、余計に苦しくて、むしろ2020はまだ決まっていないこともあったから、1年半前に観た時は希望的観測が多分な主観で観れたよなぁとかも思ってさ、、、、


しかし5年てあっという間だって思うけど、

この5年で自分個人のことだけを思っても信じられないくらい色々変わってるんだよな。

色んなことがきっと変わっていて、それは生きている以上しょうがないことで、悪いことでもなくて、悲しみと同時により一層2020までの軌跡が本当に輝いて奇跡に見えた。


私は2020年末といえば、前の彼氏の誕生日を祝って、どうなるか不安で、そんな中で大晦日1人で自分の部屋で嵐の配信を観て。

年明けには手術をして、遠距離になってあっさり別れて、また入院してそんな中で今の彼氏と知り合って、一緒にコロナ禍の激動の仕事をしてた上司が突然いなくなり、、、地方から東京へ転職して、東京来てからも数回転職して、、、、笑


嵐が変わっていくことを悲しんでいるけど、変わらないことのほうがよっぽどきっと難しいんだ。同じ位置にいること、同じ環境にいること、とてつもないことだったんだよな。しかも5人分の人生を乗せて。


当時は"休止"だったし、翔くんや相葉くんは前向きな発言も多かった印象。ニノも冷静ではあったけど、決して終わることだけを見ていたようには思えなかった。松潤は言わずもがな。

という中で、改めてVoyageを観ると、やっぱ大野くんはスッキリしていた。これで終わりなんだ、って。


だから、演出や切り取りもあっただろうし

わからないことだって当然いっぱいあるけど、

あの24話で映し出されていたことに嘘はなかったと思う。


嵐を見てると、アイドルって生命そのものだと思った。戦いもがく姿が嵐なのだとしたら、それができる最後のタイミングなのかもしれない。そりゃあ1日でも早いに越したことはない。彼らの姿を思い出すと、この終わり方は非常に納得できるんだよな。何が本当にファンのためなのか、残酷でもあるけど、嵐が嵐を愛するからこそ選んだ道なんだと思う。


でも、それでも、やっぱり、、って気持ちはずっと消えないとは思う。


ただ最後まで5人とも健やかに、生きててくれて、私たちの前で5人で笑い合ってくれて、会話してくれて、ほんとにほんとにありがとう。


ニノの誕生日のときのファンクラブの配信は、なんというか、アベンジャーズを見てるみたいな気持ちになった。この人たち、ずっと一緒に活動してたのマジでなんか凄かったよなって。


すべての起因が大野くんてことになっていて、それは絶対に嘘ではないと思うけど、

そこに対する他の4人のスタンスとかは実際のところわからないし、意外と松潤とニノはドライな面も見えるし、それは事務所を離れる離れないみたいなところでもなんとなく勝手に感じるものはある。

それが一アイドルとして、一アーティストとして、一芸能人として、どういう選択なのかっていうのは私には想像することしかかできないけど、

でも4人とも、戦うことはきっと辞めたくないんだろうっていうのはわかる。


相葉ちゃんがVoyageで、「少しでもいいから歩き続けなきゃだめだ、その先でまた集まれるかもしれない」って言っていたその言葉に心が痛くて、でも同時に希望でもあった。


同じくニノの「燃え尽きてもいいんだけど、そうするとオレみたいな人間はゲームしかしないからね(笑)」も、ひねくれてるけど上記と同義と思ったな。


この先大野くんは一切オモテに出なくなるんだろうか。他の4人はどこに向かって生きていくんだろうか。答えもないし、活動も積極的には追えてない私みたいな者の想像力じゃ足らないけど、

これだけのエネルギーで一度終わらせた2020からもうすぐ丸5年、私は彼らの最後の姿を生で観ることはないだろうけど、そんな者たちもいることは当然彼らはわかっていて、きっと何かメッセージをくれるはずだ。生で観れるのはそもそもラッキーなことで、彼らは親しみやすいけど一方でやっぱりキラキラしていて遠くにいるアイドルで、信じられないくらい、想像もつかないくらいファンのことを考えてくれている。その姿はVoyageに詰まっていて、この配信が今一度ほんとにお守りみたいで、宝箱みたいな時間を閉じ込めていつでも観れるようにしてくれて本当にありがとうと思った。


それで、彼らを信じていれば大丈夫なんだよな、となんか思った。どれだけ追えているかとか、LIVEに行けた回数とか、そういうことじゃなくて、彼らのことが大好きって気持ちだけ持っていれば、それでいいというか、大丈夫なんだと思える。思えた。


松潤の、THIS IS 嵐LIVEに向けた一言、

「色んな思いはあると思うけど、エンタメの楽しさとか力強さとか、ポジティブなメッセージを存分に味わってもらいたいし、寂しい部分はもちろんあるとは思うけど、それでも楽しんでもらいたい。

一曲一曲、一つ一つの詩がオレらからのメッセージだから。楽しかったり嬉しかったり、いいなーと思ったり時に悲しかったり。そういうことも含めて色んな感情をごちゃまぜにして全部渡すから。それを受け取ってもらって、みんながどう感じるか。」


これにもう全部詰まってるし、

めちゃくちゃカッコいい。全部渡すから。って。

Voyageはカッコつけてない松潤がカッコ良すぎる全24話でもある。相葉くんと翔くんのせつなさと大きな優しさが見え、ニノはやっぱり本心を見せず、大野くんはもうなんか違う次元から見てるみたいな…笑


翔くんはもはや五角形じゃなくて一つの点と言っていたし、大野くんは今はみんな同じ方を向いて横並びな感じって言ってたけど、

最後の最後の関係性でさえ、やっぱり5者5様でおもしろかった。


願わくば、ずっと観ていたかった。

ファンクラブ辞めたくせに今更なにを、、なんだけど。それでも、嵐のことが大好きだから、色々想う権利はあると思う。


残り8ヶ月切ったのかな。

8ヶ月で何が起こり、どう終わるのか。そこに同じ時間を生きる者として注視できるだけでももはや嬉しいよ。嵐、戻ってきてくれてありがとう。


ニノ


みんなどんな思いを抱えて来ていたのだろう。
それでも、グループを、ではなく全員ただ1人を観るために集まった今日は初めての体験で、不思議でもありなんだか心細くもあり、同時に心強かった。

15、6歳の頃からここに嵐のことをたくさん書いてきて、感動したことや可愛かったことや、抑えきれない興奮をここに大事に保存してきた。

この投稿の「テーマ」は「嵐」に振り分けるのは違う気がするけど、でも他に入れようもない。
そんなことを考えるのが寂しい。
ニノが「いらっしゃいませ」じゃなくて「おじゃまします」と我々を迎えてくれたことに、決意と愛を感じた。

いろ〜んなことがあって、何年か嵐から離れた時期もあって、純粋に無邪気に応援していたときとはやっぱり気持ちは違う。でも、彼らは、彼は、私たちの前に立つときは何も変わらない。もうそれでいいじゃんというか、ニノが1人で私たちの前で歌って踊ってくれるそのことが、どんなことよりも説得力のある愛だと思った。

バックダンサーがいて、5人で踊る曲もあったけどずっとセンターにしかいないニノを観るのも初めてだった。やっぱり不在の在というか、この先も寂しさが消えることはないと思う。私はファンクラブをやめちゃったから、"嵐のニノ"(正確には嵐のニノとしてはステージに立ってないけど)をこの目で観られるのはきっと最後だなぁという気持ちでも目に焼き付けた。

ニノ自身は、このファンミーティングは歌って踊ることが好きだから、カバーアルバムを出したその先で、ということを語っているけど、やっぱ色んなことを深読みしてしまう。

嵐のラストライブに行けない私みたいなファンはきっとたくさんいるから、一応"嵐のニノ"でもあるこの期間に"嵐のニノ"のファンへの禊の意味もあるのかなぁとか。

"嵐のニノ"であるうちに、1人でステージに立つということをやっておきたかったのかなぁとか。それはラストライブに備えた準備でもあるのかもしれないし、フツーにニノ個人のファンマーケティング的な意味合いもあるのかもしれないし、4人のところにまだ戻る時間があるからその前に気持ち的に1人を経験しておきたかったのかもしれない、、とか、何を考えても色んな意味で泣きそうになる。

全部見当違いかもしれないけど、でもそんなことも思いながら勝手にいろいろもらって帰った。

最後の挨拶で、「曲はつくった人にとって子どもみたいなものだと思う」って言ってて、「あーそういえばパパになったニノに会うの初めてだったなぁ」とかも思った。

5年て長いよなぁ。当たり前だけど嵐休止のとき、ニノまだ36歳だったんだなぁ。

「ラストソング」はあまりにも苦しくて、でも意外と優しい顔で歌ってるニノを見てると色んなことを受け入れたんだなというか、しんみりって感じでもなく「まあ、しゃーないよね!ハーア!笑」みたいなものも感じた。「もっと歌いたいのにな」で終わったところかな、持ってるマイクを寂しそうに優しく笑って見てた。それでなんか、不思議と悲しくはならなくて「あー、昔からニノはずっと、ちゃんと"今"を見続けてる人だったな」と思った。

嵐については一言も触れてないのに、いろんなことがほんとに伝わってきた。一言くらい言うのかなぁとか思ってたけど、まああの場でなんかは言えないよなぁ。歌で全部伝わってきた。

とにかくカッコよかった。
やるせない思いを隠さないこと、
でもやりたいこととやるべきことを成してしまうところ。だって、ずっと5人でやってきたのに、42歳で1人であんな歌ったり踊ったりなんてきっとかなり覚悟してのことなんじゃないかな。だってみんなやっぱ嵐のニノがきっと一番好きだから。
わざわざそんなことしなくたって仕事はめちゃくちゃ忙しそうだし。でも、それはやっぱ上記の理由とか、我々が思っている以上にアイドルでいることにプライドと誇りを持ってるんだなということにも痺れた。ほんと痺れるよ、、二宮さんよ、、

そんな色んな想像をさせられるけどニノはとっても楽しそうで、キレキレに踊ってて、幸せそうだった。ニノのことが好きだから色んなことを思って色んなことを言っちゃうけど、でも結局はニノに幸せでいてほしい。それが歌って踊ることも含まれるのだとしたら、ニノのファンはほんとに幸せだし、ほんと、当たり前じゃないものを見せてもらった。

ニノが歌って踊ってんのをスマホで撮影できる世界線よ、、、、あんなことやこんなことは起きてほしくなかったし、10年前には想像もしなかったことだったけど、それがなかったらニノのファンミなんてなかったよ絶対、、、、
ニノは"今"を正解にするために動き続けてるんだなと思ったよ、、、ほんとすげえや、、、、私もウジウジ色々やらない理由ばっか並べてないで、やりたいことをやれるにはどうすればいいか考えたいとマジで思った。

だって、役者もバラエティの司会もYouTubeチャンネルもやって、嵐でありながら独立してさ、、結婚して子ども2人もいるんだぜ、、、、そんなこと5年前に誰ができると思っただろうか、、
ジャニ管轄のYouTubeチャンネルにファンミの動画挙げてんのもさ、、めちゃくちゃ各所とうまく調整してんだろうなぁとか(いい意味で)さ、、

何が言いたいってわけでもないんだけど
余韻がすごくて久しぶりに記しておこうと思いました。ありがとうございました。

メモ241017

ブログ、久しぶりにひらいた。


希死念慮ってやつと、死にたくないって気持ちが

小学生くらいからあったかもって

なんか思って


希死念慮はちょっと違うか。

でも、人よりうまく生きられないなって思うことがあって

それって人より多いのかどうかはわからないけど

そのことについて話したことない気がするし

話しても比べられないし


でもね、そのことを思い出したと同時に

さっきなんか思った

その気持ちを忘れさせてくれる人が周りにいたから


死にたいを死にたくないって思うくらい

今日が楽しいって、思わせてくれる人がいたから

だから今日まで生きてこれたのかもって


死にたいって、そんな深刻なやつじゃなくて

死にたい気持ちの深刻度だってだれも測れないけど

でも自傷行為はしたことないし

どっちかというとそういうのちょっと引くなみたいな感じで生きてきたし


でもなんか

ふと思ってなんか泣けてきた


辛くて死にたいんじゃなくて、つらいがベースで、

それを忘れられる時間が与えられてたんだなって


幸せな気持ちになったらつらかったことなんてすぐ忘れる

でも本当に傷ついたことって記憶が薄れても一生忘れないんだと思う


30年生きてきて、忘れてないこといくつもあるから


でもそれはシワが増えるみたいな

シミが増えるみたいな

生きてきた証なのかもしれない


そんなのほんとはいらないけど

いらなかったけど


今私はどう生きていけばいいのかわからないけど

今っていうか、いつもわからないけど

いつも答えがわかったつもりにならないと立ち上がれなくなるからだから

でもそれは考えてないのと同じなのかもしれない


苦しい


大好きだった人が幸せならそれでいいって心から思えてた瞬間は絶対にうそじゃない


私の幸せはなんなのか

わからなくなってきてしまった


誰かと比較することをやめられない

比較することになんの意味もないのに

あえて苦しみたいのか


辛いなら今を手放せばいいのに

それもできないのは弱いのか 強いのか


こんなポエムみたいなブログ書いたのいつぶりだろう高校生ぶりとかかもしれない


私はどうしたらいいんだろう

いいとかない どうしたいかだけだけど

どうしたいのかもうわからない


無理やり答えを出すためにブログを書くこと多かったけど いまこのときの心のメモとして使わせてもらった


明日も仕事だ


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