いつまでも、「心」を相手にしてないで、

 

 

とらわれたら、とらわれたまま、

 

 

気になったら、気になったまま、

 

 

いちいち相手にしない。

 

 

心を放っておきます。

 

 

とらわれても、いちいち相手にしない、

 

 

とらわれたことを、いちいち問題にしない、

 

 

つまり、問わない、不問、「症状不問」と私は決めた。

 

 

それから、私は、生活がしやすくなり、楽になりました。

 

 

嫌な気持ちのまま、そのまま、あるがままに、すっと、いきなり目の前のやるべき仕事を実践する。

 

 

ただ実践すれば良いのです。 なおすためではありません。

 

 

 

仕事が忘れさせてくれます。仕事をしていれば、気がまぎれて、いつのまにか嫌なことも忘れるのです。

 

 

いつのまにか忘れさせてくれます。ただし「期待は妨げになりますよ」。

 

 

忘れるために、治すために仕事をするのではありません。ただ目前の仕事をするのです。

 

 

目の前の仕事、電話、ちょっとした用事、ちょっとした買い物、趣味など、

 

 

もし気分が悪ければ悪いままに、そのまま、すっと手を出します。

 

 

なおそうとすれば、なおらないのが神経症

 

 

本当になおそうとしなければ、(結果的に)なおるのです。

 

 

心は完全に「放置」するのです。

 

 

神経症は、普通の病気を治すような感覚では治らないのです。

 

 

本当に治そうとしてはいけないのです。

 

 

心は「完全に放置」するのです。

 

 

目の前のやるべき仕事に専念します。

 

 

それが真実だとわかりました。

 

 

自分が全治したからこそ、本当に真実とわかりました。

 

 

不問の森田療法で全治するのです。

 

 

今日はここまで、