生活の発見会誌とネット検索で、宇佐医師の不問の森田療法について知りました。

 

そして、「心を完全に放置する」と読んで、私はすぐに全治しました

 

「とらわれても、問題にしない」すなわち不問ですね

 

とらわれても、いちいち相手にならないで、完全に放置しました

 

とらわれたことを、いちいち問題にしない、

 

 

それまでの私は、とらわれたことをいつも気にして、

 

「何故とらわれたのか」、頭の中で考えていましたが、

 

そのときから、もう「考えない」と、決めました

 

頭脳で考えて治そうとすることが、誤りでした

 

とらわれても、気にしない、問題にしなくなりました。

 

 

「心とは、小宇宙である」と、宇佐医師は言います

 

心は小宇宙であるから、心は頭脳でつまり知性で思いどおりにできない

 

頭脳で心を思いどおりに支配できない

 

頭脳で「心はコントロールできない!」のです。

 

私は、自分の心を頭脳で支配して、

 

心を思いどおりにしようとしていた。その誤りに気付きました。

 

 

今、神経症に苦しんでいる方が、

 

もし、発見会で理論学習をひととおり学んで実践したなら、

 

目の前の自分がやらなくてはならない仕事や家事を日々取り組んでいるなら、

 

そして、「まとめ」も済んで、

 

最初の頃よりは、それなりに落ち着いてきたかな、と思えたら、

 

 

「最終的に学習から抜けるのが、本当の森田療法ではないでしょうか」と(K教授)も言います。

 

学習から抜けたら、言葉や理屈で治そうとしてはならないのです

 

そもそも治そうとしてはならないのです。

 

治そうとすれば、反対に苦しむのが神経症(不安障害)

 

治そうとしなければ、結果的になおるのが神経症(不安障害)

 

実に、本当に、なおるのです

 

 

それまでの私は「治そうとしない」というのは建前で、

 

本音では「治そうとしていた」のでした。

 

本当に、治そうとしなければ治る

 

心を見ないで、自分の心を覗かないで、自分の心から離れて良いのです。

 

心を、言葉や理屈でどうにかしようと、

 

自分の気に入った心の状態にしようとしなければ、

 

放って置けば、心は勝手になおるのです。心に手出し無用です。

 

 

私は、全治するまでになんと40年かかりました

 

不問に対する無知が、全治を阻んでいた」のでした

 

不問で本治りするなんて、知らなかった。

 

不問という言葉さえ、耳にすることがなかった。

 

不問の森田療法を知っていたなら、もっと早く出会っていたなら、

 

私の場合、もし30~40代で知っていたなら、そのとき全治しただろうと思います。

 

 

今回は、ここまで