「10年かかっても、治らないのだから。もう治すことをあきらめたらどうか」
「それよりも将来のことを考えて、将来に備えて仕事に専念したらどうか」
兄からの、この助言が効いた。
『それもそうだ、いつまでも治らないのに、中途半端に仕事を続けても』
それが突破口になった。
仕事に対する姿勢を変えた。治すことをあきらめて、仕事に積極的に取り組むことにした。
だいぶしっかりしてきた。自分でそう思う。
でも、不安や緊張、とらわれが、つらかった。
やっぱりどうにかしないと落ち着いて仕事が出来ない、不安が邪魔だった。
仕事ぶりが周りから認められるようになっていた。
仕事に集中できない、落ち着いて仕事が出来ない。
不安を邪魔物にした。不安が邪魔で仕方なかった。
心の落ち着いた、安心を強く求めた。落ち着いて仕事がしたい。
不安を常に邪魔物にしていた。
以前のように、全面的に治すことが最優先ではなかったが、
一生懸命、仕事をしながら、なんとかして治したかった、治りたかった。
不安が邪魔だった、とらわれさえなかったら、恐怖しなければ、なんとかして治そうと、必死でもがいていた。
なんとか人並になりたい、人並の生活が出来たら、それ以上は何も望まない、何も要らない。
普通の人のように、懸命に働いて、笑いたいときは笑って、
多くは望まない、普通の人と同じように、ただ普通に暮らせたら、
何も要らない、笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣いて、おもしろい時にはおもしろいと言って、ただ、普通に暮らせたら、
もう本当に、駄目だ、生きていけないと思っていた。そんなある日、
何気なく入った小さな書店で、森田療法の本が目に留まり手に取った。
そして、やっと、わかった。
治そうとしないで、「治そうとしなければ、反対に治るのが神経症」だと知った。
神経症は「治そうとすると、余計悪化する。治そうとするな」と、
不安は自分を守る、安心のための用心である。
不安を邪魔物にしてはいけない。
誰にでも、不安はあるものだと、
みんな誰でも人間は、不安を大なり小なり抱えながら生きているのだと、
不安と戦ってはいけない、争って、不安を取り除こうとしないで、
不安を持ちながら、目の前の仕事をしよう、やらないといけないことをしよう。
つらいまま、苦しいまま、気になるまま、わからないまま、あるがままに、目前の仕事をしよう。
以上、
私の20代後半のころを思い出して、そのころの気持ちを思い出しながら書いてみた。
この頃、本当に行き詰まって、もう完全に駄目だと思っていた。
しかし、森田療法の本との出会いが、神経症から脱却するターニングポイントになった。
今日は、ここまで、