毎朝、般若心経を二度唱えて、その後10分程度、目を閉じて瞑想をして、さらに、誘導瞑想の音楽を聴きながらの瞑想を30分程度している。

 

それから、水を700cc飲んではっきりと目を覚まし、最後に、ホ・オポノポノの四つの言葉を30分唱えることを毎朝の日課としている。

 

 決して何かの宗教に入っているわけではない。若いころに、怪しい宗教でさんざんな目にあったので、私は宗教には関わりたくない。

 

古来の仏教や神道にとどめることにしている。そして、神仏に対して祈願するのではなく、合掌して「感謝」することにしている。

 

 幼いころ、両親が曹洞宗のお寺の法上さんの法話を熱心に聞きに行っていたようだ。私を幼いので一緒に連れて行ったのだろう。

 

そのお寺で、屏風に描かれた大きな地獄絵図を見たことを今でも覚えている。そうとうに怖かったのだろう。その見た絵を今この歳になっても忘れない。

(森田療法の創始者、故森田正馬先生も幼いころに見て怖れたという)。

 

 そして、母に「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」

「悪いことしたら、お天道様はちゃんとみているんやで」と、そう言われて育った。

その母は、おとなしくやさしい人であった。

 

 父は人がいい、人からお人好しと言われていた。しかし、母の父に対する評価はかなり低く厳しかったようだ。

母方の兄弟は皆、当時、公務員で頭が良く、その時代においては世間体がとても良かったようである。

 

父方は三人兄弟で私の父が次男であった。長男も弟も、商売で成功していて、長男の伯父はかなりのお金持ちで町でも有名な人であった。

 

 私の父は最終的に電力会社の嘱託社員で、母は父に失望していて駄目な男としか思えなかったようである。

 

私は母から言われた。「男は腐っても鯛の骨(いつまでも腐らない骨)で、なけなあかん」と教えられた。

 

母が父のことを駄目と、けなすばっかりであったためか、私はその駄目な父の子なんだと、自分に自信が持てなかったようだ。

 

 父が晩年になって、あるとき父の私に対する気遣いや思いやりに触れたことがあり、

 

あとで私の妻が言うには「とってもやさしくて、気持ちの温かい、良いお義父さんだよ、あなたのいつも言う駄目なお父さんではないよ」と言われ、

 

その妻の一言で、ようやく私は自分の父親を見直すようになった。

  

 一般に、「母親(父親)が夫(妻)の悪口を決して子に聞かせてはならない」と云われるが、母親から刷り込まれた父のマイナスイメージは、いつまでたっても消えないものだ。

 

 父は、家族を懸命に守り、やさしく、時には気の明るい面があり、満面の笑顔を見せてくれた父であった。

 

私はその父から譲り受けた明るさが、神経症や様々な苦労をしていた頃の私を支えてくれたように想う。 

 

人生で幸福になる鍵は「人柄」なのである。

財産、地位、学歴、家柄で幸福になるとは、世間の人の多くが信じているほど確かなものではない。

 

愛と感謝を学んで、人間性(人柄)の向上に努めたい。

       

そして、

「愛と感謝は、治ることへの近道である」ことを人々に伝えたい。 

 

 父と母の願いで、

「お経にあった明信仏智と成り給うから、私の名前を付けた」と、母が生前、私に教えてくれた。

 

過酷な神経症に苦しんだが、乗り越えられたのは、父と母の愛に助けられていたのかも知れない。

 

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