さだまさしの歌が気に入って、最近よく聞いている、案山子とか関白宣言とか、歌詞に愛がこもっている感じがして聞いていて心地いい、精霊流しも懐かしい、
20代のころ、流行ってよく聞いていた。少ししんみりとするが、若いころの自分が少し思い出される。神経症で最も苦しんでいたころだった。
その時分、京都の出町柳という叡電駅の近くに住んでいた、ひとりアパートで、六畳一間で窓を開けると間近に電車が走る。
ドアは開けると少し曲がっていて、ぎしぎしと音がした。畳も一部へこんでいた。
木造の二階建てで、共同炊事、共同便所で漫画に出てきそうな建物が少し斜めに建っていた。
不動産屋に行って、「家賃が安かったら、どんなところでもいいです」と言ったのを覚えている。
アパートの前に柳月堂というクラッシック音楽を聞かせる喫茶店があり、ときどき通っていた。
その階下あたりにもう一軒喫茶店があり、そこで厚切りのパンをコーヒーとセットでたぶんモーニングサービスか何かで食べていたのだろう。
また、食パンを買ってきて、部屋でトースターで焼いて食べていたことも、そのころアランドロンの甘いささやきという女性歌手の歌を聞きながら食べていた。
パンを皿に、インスタントコーヒーと、畳に直に置いて食べていた。
一度、50ccのバイクで大原を抜けて、山を乗り越えて郷里に帰ったことがある。
山の頂上で満天の星空を見て、奇麗だなぁと思った。
無茶苦茶、苦しい頃であったがようやくやっとそんな気持ちの余裕が感じられたころだった。
郷里の家に着いたら兄と母にとても驚かれた。
左京区の詩仙堂にもよく行った。小洒落た小さな寺というか隠居跡というか、畳に座って、借景式の日本庭園を見ていた。
よく思い出せないが、たぶん虚しく寂しく感じて、いつまでこの苦しみが続くのだろうと思い悩んでいたのだろう。
あんなに苦しかったのに、今、私は、こうして自分の家で、妻もいて、娘も二人いて、孫も出来て、パソコンに向かって
こうしてなんとなく浮かんでくるにまかせて、いわゆる心に思うよしなしことを書いている。
体も健康で薬ひとつ飲んでいない。あのひどく苦しかったころの若い自分からしてみたら、神経症も全治して、もう夢のようだ。
たぶん、その時の自分に、「そのままの自分と、現在の高齢になった自分と、どちらかを選べ」と聞いてみたら、
若いときの自分は迷わず、高齢の自分を選んだことだろう。
若くなくてもいい、この苦しみさえ取ってくれるなら無くなるならと、決して迷わなかったろうと思う。
生き地獄のような、そのころに比べたら、今、どれほどの幸福かと思う。
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