人それぞれですが人にはそれぞれ過去があると知ります、記憶があり想い出があります、それらは、事実であれ真実であれ自身が観たという理解の体験であり現実の集積かも知れません、自身が観たモノが正しいかったのか間違っていたのか、それは誰かから観ると又違う世界や現実になるのかもしれないけれども.確かにそうだけど人にはそれぞれ過去とか記憶とか想い出がたくさん積み重なっていて、その情景を共有出来るような物語性もあります、同じ景色を観てもそこに生まれる感情や気持ちや感覚や想像性は又人それぞれです、人それぞれ違う過去違う記憶異なる想い出を積み重ねながら、違うことを知りながらもそのときそのばしょにいっしょにいたことを大切にしたい共有したいとも想います、忘れて終う悲しみとは、そのときそのばしょそのくうかんにいっしょにいたことが、なかったことにされてしまう悲しみ寂しさから来るのかも知れません、人それぞれですが人はそうして、誰かを悲しませないように孤独に寂しい世界に閉じこもらなくていいように、出来るだけいっしょにいたことということ、その時その場所その空間その情景を忘れないように心がけて観るのかも知れません、もしも自身が忘れられるモノならば、それは悲しい物語かもしれないから、ただ忘れて終うことが悪いことなのかというとそうでもない物語性が又人それぞれですがあるようにも想います、過去に縛られて記憶から想い出から抜け出せずに今も尚、そのときの情景に抱いた当時の感情や気持ちに苦しんだり悩んだりする物語性もあると知ります、人は過去と記憶と想い出と、どう向き合ってどう付き合って行けば良いのでしょうか、正しいさもなく正解もなく絶対もない世界で、私たちは、昨日までと今日からについて、どのような観方や捉え方をチャレンジすることが可能なのでしょうか
失礼致しました、
ごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます
人の歴史とは、人の生きた過去から成りそれは、人の記憶と人の想い出から成るモノかも知れません、事実か真実かではなくて、誰かがそのときその場所その空間の物語を覚えているか想い出せるか或いは又振り返ってどう観るかどう考えたかどう捉え直したのか、そうした記録や編纂の切り取りが今に受け継がれて或いはたまたま残ったモノがあり、そうして生き残って来た過去や記憶や想い出がその誰かの誰かたちの一部の重なりが人の歴史を創る物語性を帯びています、改めて考え直して変更される歴史も多々あれば、何の手がかりもない埋もれた忘れて閉まった歴史もある中、今日私たちが自身で想い出すことの出来る過去や記憶や想い出というモノたちは、何故、どうして今日まで生き残って来たのでしょうか、過去に苦しめられると人はいうならば、何故人は、その物語を今も尚生き残らせて消してしまわないのでしょうか、そこに学びがありそこに気付きがありそこには大切な何かがあると信じているからでしょうか、忘れてはいけないこと、残さなければいけないこと、それは一体何なのでしょうか、逆説的に誰かに言われて誰かの為に忘れたら駄目なことやいつまでも想い出さなきゃいけないことなんて、ほんとうにあるのでしょうか、自分自身にとっての大切な記憶重要な想い出、残したい過去について考えて観る物語、そこには、教科書に書かれたことを頑なにみんなが信じて記憶する物語性とは別にして、自身にとっての過去や記憶や想い出の集積から、例えば今日からもしも明日になっても残したい過去や記憶や想い出があるとするならば、何を残して何を捨てるのかという物語、過去は消さなくてもいい、記憶も改竄しなくていい、ネガティブな想い出も無理矢理ポジティブにしようと躍起に頑張らなくていい、ただそうした自身にとってのその時その場所その空間にいっしょにいたモノたち存在を、今現在の自身から観てもうワクワクしなくなったとか、もうときめかなくなったとか、それがいっしょに居てくれるから頑張って生きて往けるとか前向きに明るく自分らしく在れるとか、いっしょにいたい気持ちがもう今はなくなって仕舞うようならば、それら過去と呼ぶモノたち記憶というモノたち想い出と処理するモノたちに、今までありがとういっしょに居てくれて、とさよならしてもいいかもしれない物語、過去は記憶は想い出は、永久に未来にいっしょに連れて行かなきゃならないモノたちでもないかも知れません、自分自身にとって今必要なモノたちこれからも大切にしたいモノたち存在をちゃんと今観て、いっしょにいてほしいモノだけにする物語、今日私たちが覚えている過去や記憶や想い出は、今日の今の自分にほんとうに必要なのかどうか、それがいるからこそ今日私たちは前向きに明るく明日に向かって生きて往けるのでしょうか、ときめかない記憶はもう今の自分自身に役に立たなくなって仕舞うから今までありがとうね、とバイバイする物語性があってもいいかもしれないと考えて観ました、教養として又一般的な常識として或いは又受験に必要な誰かの過去や記憶や想い出は、自分自身が今日自分らしく生きて往く為に必要な過去や記憶や想い出とは限らない物語、そんなモノたちに思考を割いて想いを巡らせ悩み苦しみ不必要に考え過ぎる暇があるなら、もっと自分自身にとっての大切な記憶を想い出をどう残すのか残したいのか昨日から今日へ今日から明日へどうバトンして往くのかを考え直して観る物語、いっしょにいたいモノたちに囲まれて生きて観る物語性は、物の整理整頓だけでなく人付き合いだけでなく、そうした過去や記憶や想い出というモノたちとの付き合い方にも適応できる可能性について考えて観ました
以上大変失礼致しました
本日もよきかな一日をどうぞ
ありがとうございました