効果と結果について考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

努力をしている人の中には、前向きに明るく希望や夢を観る側面があるとも言われています、本来自分自身の為にある努力の在り方とは、決して努力が大事だから努力をしなくちゃいけないから努力するだけの点を観て努力が推奨されたりする訳でもなく、努力した結果がどうなるのか、良い結果が大事だ重要だという結果だけ観る良い結果とセットのものでもなく、人それぞれですが色んな人が生きているその人生の物語の中では、始まりと終わりが連綿と過程の連続のような日々を織り成しながら、毎日という過程を一日という過程を前向きに明るく希望を胸にポジティブな言葉を語り想い理想的な自身或いは叶えたい夢などを人生を通じて見据えて過ごしている、そんなある種の幸せそうな人の物語、日々に活気があり生き甲斐を体験している人の中には、努力をする人努力を惜しまない人努力を楽しむ人という、努力が敵ではない人生過程の工夫、その人達なりにそれぞれですが良い結果に結果的に繋がるような人の在り方が見受けられる為に、そうした人たちに学ぶならば、努力することは大事なんだなと切り抜きの結果云々より、幸せな人になりたいと願うなら在り続ける過程において、努力することに不平不満を想い語るような物語を編まない方がいいかも知れないという先人たちの知恵物語、それが努力の側面かもしれない物語

失礼致します

ごうさんというペンネームで

ブログを気ままに更新して観ます

いつの時代にもそこに生きる人たちの総量の和の平均的意識が世の中には振動として影響を与えてくれるモノだとしたら、人ひとつ人ひとりの震えは僅かでも密閉空間に鳴り響き渡る臨場感溢れるステレオ効果、ライヴ生演奏で起きる音が空気全体をも震わせて自分自身の心臓をも突き抜けて身体的ぜんぶを揺り動かすような一帯振動のような、目には見えないのですが、この世界を守る為宇宙との境界の内側にある人は密閉空間で響き渡る様々な震源に左右又影響するされるモノは興味深いと考えて観ました、人1人の思考や意識すらその振動をキャッチして周波数として形で観測可能な現在、自身が日々何を何万回も考え気にして意識するのかは、もちろん自身を震源とする自己自演な自振の創造性ですが、それすら完全無欠なオリジナルの振動とは決して断言絶対出来ないかもしれません、振動による効果は様々な実験により人の日常生活を超えたところがありますが、震える世界に共に生きる私たちに出来る試みがもしもあるとするならば、自身の震える結果を最重要とするのか或いは自身の日々の震えを意図的に意識した自身の為にあるより良い効果的な振動数を観るのかは人それぞれですが自由自在な想像です、人は毎日毎日を無意識にクリエイターとしてこの世界を創ることに震えながら参加していると考えた場合、今世の中にある平均振動は何かに気付いてそこに同調するのかしているのかを考えて観るとみんなと同じことが決して自身を幸せにするとは限らないし、みんなと違うからこそそこには影響下にはない他人に左右されない自身の創造性豊かな世界が広がる可能性についてワクワクして観ることも可能です

できない合わせられない好かれない合わない共感圧力同調不協和、他者を気にしたくないけれども気にせず生きることが困難で気にしないように気にしないようにすることそのものの毎日が息苦しさを有無かもしれない社会で、それは自分が悪い訳でもなく、例えば地震が近辺で起きたときその揺れに一切影響を受けないと意識しようにも震源が近ければ近いほど無理なこともあるかも知れません、そう考えて観ると人は何かしらのあらゆるモノの震え振動には多少なりとも無抵抗な側面もあるようで、大地の上で生き空気に包まれて生きている以上はこの振動に左右される影響下にあることからは逃れられないのかもしれません、振動による一時的な結果を観るか又振動による微分で効果を観るのかという物語、結果は結実とも描いて観るとその実が実るまでの時間期間行動や意識の積み重ねやそれまでの過程が効果範囲と観ることも可能です、結果重視はそのこれまでを否定してしまいかねない側面はありますが、効果重視ならば結果云々よりもそれまでの自分自身の積み重さねについて自身をどうよりよく創りよりよい自身の理想的結実に繋いで往けるかを短期的のみならず中長期的な目でも観る物語性があるように考えて観ました、自分を知る為自分を創る為自分を体験実感する為に人はそれぞれですが短期結果を追い求める欲求は無視出来ないかもしれませんが、人生を考えた場合おそらく例外は除き一般的には明日寿命を迎えるような切実な意識がない日常で、結果も勿論大切ですが効果についても考えて観ると自分が生きた今日の結果と同時に明日へ未来へと繋がる効果について前向きに観ることは自分が生きる主体性を取り戻すヒントになり得るかもしれない物語

努力の意味や定義は人それぞれですが、努力していない人なんて居るのでしょうか、他人にせよ自身にしてもそんなもの努力とは言えない認めないという物語性はありますが、だからといって努力をしていないことに断定絶対する必要もなくそうは観えない人とそう観える人がいて、こんなの努力の内に入らないというそれが、私には素晴らしい努力に観る物語性もあると知ります、自分自身の努力が結果に結びつかない事もないかも知れません、それは自身の努力が努力に観えないように認められないように、結果も又いい結果わるい結果大したことない結果ありきたりな結果知っている見飽きた結果つまらない当たり前の結果などなど、刺激的な観たことない奇跡のような結果以外は結果じゃないなんて、或いは他人が観て羨ましがる様ならまるみたいなことを求めるあまりに努力も結果もないことになって仕舞う物語性もあるのかもしれません、人それぞれですがかなり疲れてからやっと疲れたなと疲れを認めて自身に疲れている状態を赦して休ませてやろうかなとするように、疲れる前にその疲れるつらいやる様々な観えない努力や観えない結果のちょこちょこに余り丁寧に取り扱って重要視しない側面があるのかもしれません、結果がすべてだと確かにそうかもしれません、ただいちいち大変疲れたりすごく生き辛くなったり病気になったり障がいを持つようなある種、これくらいズタボロになれば許されるだろうという世間の目からの免罪符や天下御免のかぶき状を獲得する為に、人それぞれですが人は無意識のうちに病む物語性に憧れていたり社会的弱者を装って観たり目指したりする本人たちにも解らない物語性を編む可能性について考えて観ました、人は皆幸せになりたいと口々にはいうのでしょうが、その人それぞれにとっての幸せといういわゆるひとつの結果というモノが、他者から観た場合にそれでいいのかそんな常態が幸せなんだなという物語性は多々様々にあるように考えて観ました、生きづらい人は生きづらい事で選べるメリットや目的が存在していて生きづらいという大義名分の御旗を掲げていれば堂々と赦してもらえるような大切にして優しくしてもらえるような人としてちゃんと見て取り扱ってもらえるようなメリットや目的を持ちそうなるような効果的な毎日毎日や毎年毎年の物語性を自身で編んで来たと仮定した場合、その人にとって生きづらさとは理想的な結果を手放せない大切なモノとなるかもしれません、世の中には例えば障がい者とラベルされる人たちを観て羨ましがる人たちも多く存在しています、彼ら彼女たちからしたらそうした人たちは自分たちより得をしているとか自身には許されないこともそうゆう人たちには許されるからズルいだとか不公平だとかいう視点から観る物語性があるようにも想い観ました、いいかわるいかではなくそれがその観点がその人たちを支えている幸せの意味や定義であり、そうした意識を土台として一般とか普通とか常識とかいう意見主張議論や口論を持つ故に、そうではない人たちにとっては基本的に交わらない世界観との交流物語になるのかも知れません、人それぞれですがそうして観ると人の育みや成り立ちも結果は大事かもしれませんがひとつの結果がありそれでお終いという人生物語でもないと知ります、それらはあくまで切り取りで人のお終いがいつなのかは厳密には解らない物語性もある中で人の生涯や人生は過程に満ち溢れていてそれを可能性の海とも表現することが可能ならば、結果より効果を観る視点が自分自身にとってより良い物語性を編むツールになるのかもしれないと考えて観ました、目的を達成する効果はあるけど生きづらい結果から辛い苦しくて楽しめない毎日を終わりなき旅のように感じる効果を付与するならば、幸せになる為に当初編んだ生きづらさに至る物語も効果的ではないかもしれないと再考する余地は出てくるかもしれない物語、嫌な人嫌な物事にもそれが嫌だと言える想えるメリットや目的があり、その人その物事が無ければ嫌だとも言えない物語性がある中、嫌だわ嫌だしせうだよね分かる分かる大変だね頑張ってるね、などなどのその人にとっての軽快な大切な会話も嫌な人嫌な物事が無ければ出来なくなる物語性があり、そう観るとそれは嫌なことが観える状態はその人たちにとっては嫌がある分嫌が分かりいやによって癒される幸せな物語かもしれない物語、そうして結果だけ観るのか効果を観るのかその両川を活用して日々笑って過ごせるようなモニタリングツールとして観るのかは観るモノ次第かも知れません、今日一日いい結果は得られなかったかもしれないとき、それぞれですがそう観えてもいい結果に繋がってゆくような効果的であろう自分なりの努力や頑張りや忍耐も含め、自分がちょっとでも笑えるように居心地良く気分良くなれるようなチャレンジを試みたなら、結果云々よりもそれは自分にとって素晴らしい物語性を編んだとよくやったと認めていい言っていいと考えて観ました、後悔する結果より後悔しない結果が清々しいとも言う方もいらっしゃる中、それは自己の為に編んだ努力の効果が決して理想通りの結果を生み出さなかったかもしれませんが、効果を信じて努力した自身の頑張りを観てそれだけやったら充分だと言ってやれるような物語性が観えるのかもしれません、人生は一度きりとも言われますが一度きりだからこそ失敗もしたくないと想ふのは健全な心だと想います、ただその失敗というひとつの結果も過程の内であり失敗に至るまでの自己が編んで来た効果努力に対してはよくやったよ充分やったと癒えるような物語性を編めたなら失敗の続きも前向きにそれを又材料にして更なる効果について考えて観る発想も人生は楽しむ為にあるというベクトル性を育むヒントになり得るかもしれないと考えて観ました

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました