ブラックホールから考えて観るネガティヴの観方を考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

休眠したブラックホールが突然活発になる物語について考えていました、ずっと長いこと周りのものを吸い込んでいたら、吸い込むものが辺りになくなっちゃって長い時間大人しくなっていたもの或いは又見えなくなったものが突如活動し始める観測は、活動しているから観測出来たとも言えるかもしれないところが興味深く想いました、活動の意味や定義はそれにより様々あるかもしれませんが、例えばそのブラックホールの場合ですと、自分の周囲のモノはもれなく吸い込む、という事が活発な活動だと仮定した場合、吸い込むモノが吸い込み過ぎてなくなったとき不活発な活動、つまりは休眠状態という生きてはいるんだけども、動いてはいるんだけども、大人しくなると見えなくなって仕舞う物語です、ブラックホールって名付けられるくらいですから、真っ暗けな宇宙空間の中では基本的には見えない訳でしょう、実際宇宙空間に飛び出してその空間を遊泳したことはないので、体験としてどれだけ宇宙が真っ暗けかは解らないのですが、唐突に変な話宇宙遊泳は夢で観た事はあります、流石にズレた私ですが肯しとしましょう、失礼致しました、単なる妄想や勝手な想像のお話とかでなく、昨今の科学技術の発展により高度な望遠鏡から観測出来る範囲が拡大し以前に比べてより多くのより遠くのそこにいるモノたちそこにある銀河宇宙風景景色が画像データという人の目に見える形で見える新たな発見の物語性が興味深いところだと考えて居ました、何もないと想い何も見えなかったそこにあすこにむこうにあっちこっちに、突然今頃何かある事が解る或いは以前よりちょっとは見えていた知っていた何かあるだろうとは解っていた、積もりの大体の大まかなそこにある日突然、もっと見えるちょっとどころじゃない沢山のモノたちが確かにそこに居たんだな動いてたことを知る物語性は人それぞれですが、観ることによる存在認知証明或いは観る事によって世界が広がる現実的な現象ともいうのでしょうか、如何にしてこの人の観る観ないという特異性があるとかないとかいう物語性を大幅に支えている重要なキーワードだとも考えて観ました、

失礼致しました

ごうさんというペンネームで

気ままにブログを更新して観ます

変なお話というのか私のごくごく勝手な疑問符かも知れませんが、冒頭のお話でブラックホールが見えるって不思議だなぁと考えて観ました、真っ暗なところに真っ暗なやつが居るわけでしょうから、何故見えるんだっていう子どもみたいな疑問かもしれません、いわゆる気になって仕舞う些細なことになんでだろう何故かどうしてどうして、なんて質問ばかりしてくるズレた私のような、こんな子どもを持つ親は大変うっとうしいかもしれませんが、なんで宇宙空間にブラックホールが見えるのかって不思議でした、周囲のあらゆるモノを吸い込む際に吸い込まれるものは歪曲し捻じ曲げられ破壊されバラバラ散り散りになる訳でその際発生する高温高熱或いは吸い込まれる対象としてガスやエネルギー状のモノたちもたくさんあって光も然りですが、兎に角もうなんでもかんでも吸い込んじゃう訳で、その時に発生するブラックホール周囲の爆発的な衝突破壊歪曲捻じ曲げ伸び縮みを含めて熱や燃焼が光となって周囲を包み、本来なら真っ暗なところを際立って見せてくれる現象、例えばが違うかもしれませんが私たちが日常的に観ることが可能なモノで視覚的に例えると、金冠日蝕のようなイメージで、もともと見えない物語が光で周囲を取り囲まれる事によって見えちゃう、暗さの真っ暗の見えないモノたちの存在証明をあくまで人それぞれですが人としての単なる視覚的な偏見かもしれませんが、確かにそこに居るそこに居たそこにあったんだなって観える物語性がこの世界の或いは人の世界の拡大又は発展成長進化に大きく関わり支えて助けてくれる物語性について考えて観ました、突き詰めて人それぞれですが人にとって大切な要素重要な課題は、見ることと観ることだとも想い観ました、何を見るのか或いは見えるのか、それは見に行くことも自身に見えるモノを見える場所に見せに連れて行くことも見たくはないけど興味ないけど見えること見えちゃうこと視界に入ってくるもの、それとそうして見たとき見えるときに自分はそれたちをどう解釈しどう読み取りどう把握理解しそれぞれですが、それらにどう輪郭を与えて境界にエッジを立てて形として形なきものとして、どう観るのかというところ、そこに私たち人はそれぞれですが人としての体験を多く知り学び発見は発展成長進化へとフェーズを動くモノなのかもしれないとも考えて観ました、光をも吸い込んじゃうブラックな存在、周囲にあるモノすべてを吸い込んじゃうくらいの莫大な重力は膨大な質量を証明しあらゆるものを吸い込んだ後には見えなくなって終う物語性、見えてる間は光に包まれていてそのおかげさまでそこにいる在ることが解り知って貰える物語、やがてその光すらも自身の内部に完全に吸い込んだとき、又見えなくなっちゃう真っ暗なアンチ苦笑、見えない解らない分からないからそこにいないことになる物語と見えるから解るから区別でき別々で違いがあり分かり境界があるからこそそのおかげさまで、そこにあることここにいること確かに動いて活動し生きているんだということ存在していることになる物語、人には完全に見えないけれども存在はしているモノを暗黒物質とラベルするように、未確認未認知未証明たちは或いは又人それぞれですが人の日常生活に置き換えて観ると、色んな悩み苦しみ痛みや不安焦燥も、憎しみも羨みも高揚もあらゆる人それぞれの見えない形のないネガティブもポジティブも、そんな何かたちの見えはしないけどあることはあると知るモノたちの、人も含めて自身も含めてこの私たちが生きるこの世界は、光ありきでその存在その存在の重力も質量も知ることわかることが出来る不思議な物語について考えて観ました、あれがそこに見えるということは光に包まれているからかも知れず後はその光に包まれたあらゆるモノたちを私たち人はあらゆる五感あらゆる感性あらゆる想像によりどう観るのかどう捉えてどのようなエッジをそこに効かせるのかは人それぞれですが人生を創る上で大切な試みかも知れない物語

あなたが底にいるということはあなたが見える存在であるということであり見えるあなたは明るかろうが真っ暗だろうが確かに見える限りは光に包まれているという証明です、ブラックホールに学ぶことがもしもあれば、あらゆるモノ全てを吸い尽くして見えなく成る物語性は、例えばもうこの世界のすべてを知った全てを分かった知らないことなんてない分からない事なんて何もない、あー暇だなぁあーつまんないなあー嗚呼またかなんてこの世界は面白くないんだ、勉強もまなびも発見も新たな選択もなくして仕舞うとき、人それぞれですが人は休眠状態になって見えなくなって終うのかもしれない物語、自分が解らないときそれは自身が自分に光を当てて観なくなって閉まったからかもしれない物語人それぞれですが人は見える限り視覚だけのお話ではなく目以外でも観てとれる限りは、そこに在り光に包まれているモノだと想い観ました、何がどう起きようと誰が何を考えて口にして誰が何をしていようとも、あなたは今日そこに生きているという事は光に照らされ光に包まれているブラックホールに学ぶ存在証明な物語、後ろ向きだの前向きだのやる気があろうとなかろうと、それらも光に包まれている物語、今日も愛変わらず見えないときもあるけれど太陽は登りそこに在る物語

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました