日本人の文化的共有性について考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

一概には言えないかも知れませんが、日本人は国際的に模範的な文化を持つ優れた素晴らしい民族であるとも一部では言わせる物語性があると知ります、それは優しいさだったり思い遣りだったり他者に対するサービス精神や自己犠牲的な行為だったり謙虚さや尊重だったり他国から日本を訪れた人たちの中には自国と比較してそのギャップに驚く人たちもたくさんいて、日本というある種の観光地は歴史的な建造物や手工業の巧みさや食文化や武士やサムライやなんだかんだだけでなく、民族として或いは人として、現代的に競争社会を資本主義社会を先を往く他国に負けじと近代化して国際的にも足並み揃えるくらいに急速に発展して来た物質世界観な物語性の中、人それぞれですが日本人は相変わらず、そのかつてあった日本人としての非物質的な観点や精神性や思想的な又は哲学的な日本人独自の世界観を、日本人の方ならそんなもの現在では廃れて生き残っていないとか、当たり前で凄くもなんともないとか、返ってそれらが旧態依然として西洋式な現代的日本人の障害になり得るだとか、もうかつてあったよき日本人の魂を持つ者はいないとか絶滅危惧種だとか、まあまあなんやかんや色んな捉え方や価値観意識の変遷変化と共にいろいろいう人も一部ではいるかも知れませんが、それでも尚、他国からそんな有り様の現状の日本人を観ると、凄いなあと素晴らしいなぁという想いにさせる物語性が現在でも存在し、日本人に会う為に交流する為に人生のヒントの為に日本人を体験して観たくてやって来る人もしばしいるような、まるでテーマパーク的な感覚が日本にはあるようにも考えて観ました

、これはいわゆる私たちが絵本の世界のようにして、何処かからわざわざやって来てこの世界で何を観て何を体験しにやって来たのか、という物語性にも類似しているようで興味深いところだとも考えて観ました、何事も肯定的を最優先して観るよりかは、例えば子どもが褒められて或いはパートナーが褒められて、いやいやそんなことないですよ的な謙遜と呼ばれる姿勢を示すロールモデルと言うのかそれが知られた日本人かも知れませんが、しつこいようですが冒頭から日本人はそれでも素晴らしいんだと凄いなと褒められるもんだという事実は国際的にあるのが先ずはひとつの物語、そうして再びいやそんなしかしというお話でもなく、では例えば日本人というモノは、国際的な視点とは裏腹に社会全体として現在日本に住む日本人たちは、どのような意識を全体的に或いは平均的に又個人的にも想ふところがあり意識形成して来た現在に至るまでについて考えて観ました

大変失礼致しました

ごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

とある調査によると様々な国々における個人主義か或いは集団主義かという他国及び自国に対する印象についての聞き取りを集計した結果、あくまで精密な統計学ではないかも知れませんが、西洋的な影響が濃い国々や社会では、個人主義が挙げられて、日本又日本人に対しては集団主義である観方捉え方が平均的な意識であるとも言われています、例えばあなたがもしも日本人ならば、あなたから観て日本とは個人主義でしょうか?集団主義でしょうか?或いは又、あなたから観て日本人とは、個人主義の民族性なのでしょうか?集団主義な民族性なのでしょうか?如何でしょうか、前述の調査結果においては、日本人から観る日本や日本人という全体への意識又視点は集団主義であるという事で、結果国際的な世論と見解は一致しているそうですが、では次に日本人のあなたは、あなた自身の今現在のところについて、あなたは個人主義だと想いますか、集団主義だと想いますかという問いかけに対しては、約半々くらいで私自身は個人主義であるという解答が得られたというそうです、例え一部分な切り取り結果だとしても、日本人の方々から観て、日本及び日本人たちは全体的に集団主義であるでしょうというのに、いざ自分自身はどうかと考えて観ると個人主義であるという方々がたくさんいらっしゃるという物語性がとても興味深いところだと想い観ました、歴史的に振り返って観ても日本における日本人たちの行動原理は当時の考えや社会性から集団主義でしょうというのが勿論納得いくもので、現代においても他人の目が気になる気にする物語やみんながする方みんながやる方みんなが向く方へ、やたらみんながこぞって集まり列を成す独特な意識社会から見えるように、例えば、経済的市場原理も国内で通用する物語と対外的国際的には通用しない物語や観方や事業計画や展開など発想の違いなどが挙げられて、兎に角一点の印象的なバイアスかも知れませんが、日本又日本人たちとの付き合いでは如何にしてその集団生活集団性集団主義集団原理原則を理解把握して郷に従うか或いは又それらを理解した上で集団的なパフォーマンスに対してどのように操作するか取り扱って観るかどうかのような物語があるようにも想い観ました、個人のお話になると、例えば日常生活的に日本人の方々は、自己を個人的に捉えて観るモノの、自分自身を取り巻く周囲の社会組織日本人に対しては、集団的に捉えて観て、個人として集団主義にどう適応するのか或いは又対処対応したち向かうのかという、集団に対する盾を自身に考えて如何にしてこの日本社会から自分自身を個人的に守り且つ自分自身を活かして生き残って往くのかみたいな、ある意味では生きづらい世の中を想わせる又そうした意識を構築させる土壌が集団主義の余りに何故だか返って個人主義を個人的により育み増加させる現在豊かになっているのではないかとも考えて観ました、いいかわるいかというどっちか問題のお話でもなく、それぞれにあるメリットデメリットも去ることながら、日本とは日本人とは何か、について答えをひとつだけ導き決めるお話でもなく、例えば多様性を理解して受け入れるという世の中の潮流に対して、船が座礁して沈没するかもしれないときに果たしてそこに乗り合わせたアメリカ人ならどう考えてどうするか?イタリア人なら?ドイツ人なら?日本人ならば?みたいなジョークよろしく、みんなが気になる日本人にとっては、みんなが多様性多様性と受け入れなきゃ受け入れなきゃと言うから、たぶんみんなそうだからという意識視点が返すと集団的に個人を観なくなる不思議な反転物語性を形成してみたり、個人は大事と想い言いつつも結局みんなでみんながどう想いどう考えてどう言うのかが気にして気になりみんなのそれを最優先するあまりに自分を置き去りにする或いは自身のことは一旦置いといて概ね一致大体いっしょ厳密には違うけど正直なところ完全なる納得理解同意はないにせよ、まあみんな言うからまあまあみんなそうなんだったらそいでいいか、みたいな一様性なのか多様性なのかよくわからない物語性に悩み苦しみ痛みしんどく疲れた仕舞う物語性を自分から編んでゆくのかもしれないところを考えて観ました、個人に対する尊厳や尊重や敬愛を尊び、多様性豊かな暮らしを皆が底で日々笑って過ごせるようにと想えば想ふほど、返って集団的圧力で個人をないがしろにしてしまう喜劇的な物語、なんだかんだ目立ち過ぎたり理解不能な考えや個人的行動や意見主張は、影響力によりますが叩かれたり引きずり下ろされたり、よくもわるくも余り目立つとよくない物語がシミレーション出来るような印象社会で、私たちは如何にして個々の輝きを観て個々がそれぞれに活躍出来るその場所環境を考えて明るく前向きな映えある未来をそれぞれに想像することが出来るのでしょうか、昨今では文句ばっかり言う日本人たちに日本人たちが嫌気をさして観る興味深い物語性がある中で、そんな日本人たちを観る海外渡航者たちには、日本は素晴らしい日本人は凄いなぁとも言わせる物語性があります、文句を言うのは変な話ですが今に始まった物語でもないかもしれません、かつてはそれを例えば人情として落語や小噺のような日本人独特の肯定的な観方、ポジティブな許容、笑い話に昇華させて観る発想力創造性があり、現在では生きづらい世の中で私たちはあまりにも西洋化にトランスフォームし過ぎてカスタマイズした結果的に国際的批准には平均化したところ見失った本来ある創造力がひょっとしてあるのかもしれない物語、笑えない世の中で笑ってる場合じゃないのかも知れませんが、せめて個人的な日常生活においては、自分自身が自分を笑わせる物語は工夫して観たい物語、文句があるなら俺に言え、私はこの言葉が好きですが実際文句言われたら気分が下がる時もある訳解らない自分を知ります、ただ文句の数だけそれに真摯に向き合って真剣に考えて取り組んできた人たちが居たからこそ、現在の日本は細やかなサービスが豊富でかゆいところに目が届くその観察力が創造性豊かを育んで、より衛生的より安心なより安全なより正確なより便利なより豊かな社会を実現して来た物語性はあるようにも想い観ました、何かを生み出さない文句は確かに不必要かも知れません、ただ個人主義について自分が自分自身の事を真剣に考えて向き合ってく場合にも、これから私たちは自分自身が発する文句について、自分自身が真摯に向き合っていく、その自分の文句を生きづらいさを世の中にではなく、身近にキャッチした自分がどう対応対処して自分が自分自身を或いは又自分自身が自分をどう創り上げるのかという観方について考えて観る物語、他人の文句なんてもう大体聞かなくていいかも知れない物語、先ずは自身の文句から自分が無視せずに自分が自身で傷付けず攻撃せずに、自分が自分自身から身を守る為の闘いはせずに、笑って過ごせるように、自分自身を笑い話に昇華できるその、なんだコイツは面白いなぁ矛盾だらけだなぁ笑えるなぁなんて言えたなら少しでもそう想エル今日があったなら本来を想い出して卑しい自分自身を観るのではない癒す自分自身の想像を考えて観る物語

日本人の文化的共有性について考えて観る物語

大変失礼致しました

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