悩まない雨と止まない雨はない物語を考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

雨日和です、そんな雨の中、水だらけで水捌けのわるいコンクリート地面を1匹の蟻が歩いていました、雨の中必死になって前に進んでいました、おうちを見失ってしまったのでしょうか、雨が降り出す前に外に出てしまったのでしょうか、仲間たちや家族たちはいったいどこで何をしているのでしょうか、雨の日は雨の過ごし方をするのか、雨でおうちがなくなってしまって彷徨っているのか、雨の日雨が降る中、アリがひとつそこに必死に生きていました、外に出ているのだから働きアリなのかも知れません、働きアリは働く為に生まれて働いて働いて働いてその生命を真っ直ぐ真っ当致します、働きアリに意思はなく働いて働き働くだけ働くのでしょう、雨日和です、私は雨の中必死に歩いている蟻を観ておまえさんと私は同じモノなのかもしれないと想い観ました、何故私は人として働くのでしょうか、人それぞれですが人の社会生活においては、ときに自然は厄介モノ扱いされる物語性があります、雨が降っても、やらなくちゃいけないことがあり、雨の中働かなきゃいけないことがあると知ります、人基準で時には嫌な雨、早く止んで欲しい雨、鬱陶しい雨、いつからか人の平均的意識は自然に恵みを想わずに自然に危害を想ふようになって来たのでしょうか、雨日和です、雨が降り雨の中必死に歩いている働きアリにとって雨は危害なのでしょうか、蟻に意思はなくただ淡々と雨の日をそこで生きている、私はおまえさんのように今日も一日働いて生きるかもしれないそう勝手に文学的に想ふのが人として私がおまえさんと違う不自然なところかもしれない、意思もなくただ今日を生きるアリがそこには在る物語、止まない雨なんてないだけど、人それぞれですが人は文学的な思慮をする不自然な不思議な生き物だから、雨日和に雨の中働く自分自身とは何かについて考えて観たりもします、そうして又雨の中歩いているアリを観て同じかもしれないなんて想ふて観たりもします、ふと想います、止まない雨はないんだけど、雨は悩んだりするのでしょうか、蟻は悩んだりするのでしょうか、自然は悩まない、人は悩む、それが人が人である証拠として或いは又存在として不自然だからこそ人としての健全さとも言えるのか解らない、ふと想います、悩むとは名病むとも書き換えて観ると興味深いと想い観る、人が付けた名前名詞文字や記号、様々な言葉の意味、それらを名と言っていいのならば、人それぞれですが人はその名に意味に病んで仕舞う物語性があるのだとしたら、意味のないそこにただ生きる蟻を観て文学的に想ふように、人は又雨の日に雨の中今日を生きる自分自身にもどれだけ文学的な物語を創造できるというのでしょうか、その想像する意味付けや物語は自分自身にとっての悲しい物語なのか寂しい物語なのか希望的な明るい物語なのか、人はそれぞれですがたぶん蟻じゃない、そこにそれぞれが生きる存在としての同じ生命の在り難さはあれど、人にはそれぞれですが意思があり今日を生きているようにも想います、悩まない自然と悩んだりする不自然な人、止まない雨はないだけど病まない人はいないかもしれない或いは又やめたいのにやめられない人も色々あるけどいるかもしれない、雨日和、今日は人として不自然として悩むより自然から学んで名病まないようにして観る物語、意味やルールやマナーや模範や価値観に様々に文学的に悩まないようにして観る物語、やめたいことがもしかあるとするならば、いつか雨も止むように止まない雨はないように自然に学んで、何か今日だけやめて観る物語1秒でもいいから止まないなんて物語を創造しない物語、人それぞれですが人は不自然だからその特異性を持って今日という自分自身の一日を自由に創造することが出来ると考えて観ました、雨の日に人それぞれいろいろありますが、たくさんの様々な名に病まないように想い観ました、

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました