自分自身のお気に入りチャンネルを考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

時代を遡って観ると、映像に関する娯楽は、テレビ、映画ぐらいだったでしょうか、テレビは放送局が何種類か映画のジャンルはどれくらいだったのでしょうか、形は違えど媒介は違えど、そうしたテレビ番組や映画作品が現代においてはたくさんのジャンルに細分化されて世に溢れていると考えて観た場合、その人それぞれですが人がよく目にする映像ジャンルは自分自身の意識傾向を知るきっかけになり得るかもしれないと考えて観ました

失礼致します

ごうさんというペンネームで

ブログを気ままに

更新して観ます

社会というモノは、法人のように物理的に身体は持たないけれども、それを形成している人の集合意識によりカラーを変化させるとも言われています、それは風土とか色とか全体的雰囲気とか表現は様々になされているとも想いますが、社会というモノがひとつの生き物だと仮定した場合、人というネットワーク化の神経網のような場にある時意識が芽生えるとき、私たちは社会を構成する細胞として神経として或いは又各センサーや血管や臓器として様々な役割を分担する集合体の一部として社会全体の成り行きに従って往くような物語性を持っているようにも想い観ました、そんな中ひとつの細胞として意識を変換して観る試みは、群れ全体の流れを無視して自分勝手に動いたり又は抗うような様相で、水の一滴が大河の流れを左右しようとするチャレンジは無謀にも思うことは健全にあるのかも知れません、ただ社会全体の意識と言えども無情というシステム性に則っていて、常に全く変わらず意識開闢以来ずっと同じという訳でもなさそうで、それを流行りというのか傾向というのか又その時代その人たちのよく観るチャンネル状況ともいうのか、一定を維持するようで同時に常に揺らいでいる波のように、変化の糸口や数々の未来線に繋がる可能性への影響は、水滴ひとつから始まる物語性があって然りとも考えて観ました、私たちは宇宙を外側に見上げて膨大なマトリョシカをどんどん大きく発見観測し、且つ自己という内側に向けて又小さなマトリョシカをどんどん拡大観測するような不思議なネットの中にいるようにも想い観ました、今自分自身が存在しているマトリョシカはどの段階でどんな階層構造に位置して観るのでしょうか、小さな子どもたちや若者と呼ばれる人たちも含めて、現在の人たちがネット配信番組やスマホの中に目を向ける必死さは、底にあるジャンルやカテゴリ、何を観せてくれているのかというヒントがあるように想い観ました、社会という全体にしても人ひとつという単体にせよ、意識というモノがこの世界を観る上で重要なポイントになっていると仮定した場合、日常生活に解り易く落とし込み理解する為に、意識という言葉をチャンネル或いは視聴番組、日頃の自分自身がよく目にする配信映像と描き換えて観る物語

例えば、子どもたちはバカになるからやめなさいと親に注意されても中々やめられないそのモノ、例えばスマホやタブレットの中にはどんな世界が広がっているのかという側面、それは画面から目を離して現実というスクリーンにはない或いは少ない映像が多彩にあって、笑っていない現実の大人たちの映像をみるよりも、仮に作り物だと理解した上でも笑っている大人たちがたくさん観える箱の中に目を向けていた方が幸せに慣れるとしたならば、その物語性は時代は違えどかつては、漫画やアニメや絵本に夢中になって創造性や未来の明るい可能性を観測した多くの子どもたちの物語性にも類似するようなところがあり、そう考えて観ると中々やめられない物語にも興味深い物語性を知ることがあります、簡単な話ではないかも知れませんが、例えば子どもたちにスマホを観るなという代わりに大人たちはこの目の前の現実をスマホの中以上に楽しく明るくワクワクするような世界観、ジャンル、番組、カテゴリでいっぱいに華やかにいろいろ映すチャレンジが必要かも知れません、大人たちですら現実に娯楽を見出せずエンターテイメントを自ら創り出さず、全体的な平均意識を悲観的なモノへ否定的なモノへ、笑えない許さないそんな番組作りに時間を割いて観るチャンネル世界に、どこか疲れているかも知れないし、実際遅れてやって来た漫画文化アニメ文化に子ども以上に目を向けて観る物語性も又、人はそれぞれですが人は今世界に何を観たいのかを表しているヒントにもなり得るかも知れないことについて考えて観ました、単なる現実逃避じゃない、ほんとはこうして観たいという意識へのヒントが底にあるかも知れない物語、箱の中であろうと外であろうとそれはどちらかではなくどちらもその人の現実だとも想います、意識にはとある学術体系的には17階層に分けて観る理解の仕方もありますが、それを意識が低いだの高いだのと自分を否定する物語に使うのではなく、例えばホラーチャンネルばかり好んで観る傾向にある自分がいたなら、これが今の自分の等身大の意識なんだなと知り、ホラーばかりを探して観る自分自身に楽しめないなら他のチャンネルにチャレンジして観る物語、バラエティにもいろいろありますが、何を観るかは意識次第と言え、意識が果たして何なのかがよく解っていない時代ににおいて、逆転して意識は何を観るか次第に描き換えてその可能性を考えて観る物語

その人それぞれですが観るお気に入りがその人の世界を創り出して往く物語

以上

大変失礼致しました

ありがとうございました