世界を創る言葉たちから考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

あえいうえおあお

あいうえお

俗に言う日本語におけるこの母音と言われるモノは、その始まりは当時の原始的とも言われる日本人がそこに置かれた環境下でその環境を真似して発音により音を介して形にして観た物語性があると言われることもあります、その真似した環境というのが自然、現代人は自然と呼ぶモノたちを当時の日本人が感覚した同じように自然と呼んだか認識したかは解らないですが、いわゆる風の音それは風の存在感川の音や雨の音それは水の存在感焚き火の音松明の音火の存在感などなど、観たモノを自分なりに真似をしてみたひとつの形が言葉の始まりのひとつの側面だとして、例えばひゅうひゅうごうごう、さらさらぽたぽたさーさーざーざー、ぱちぱちめらめら、などという単なる音だったモノからそれら自然を真似して言葉として産み出した物語性があり、日本語が稀に見る美しい言語だと言われるのも、そうしたひとつは母音体系の言語であると同時に自然に最も近い言葉が美しいとされる中で自然を表す言葉の豊富さが日本語には見受けられるからかもしれません、国際的には子音体系の言語が多いと言われる中で、子音とは、例えば日本語において冒頭の母音とされる、あいうえおは、口を開けて舌を動かさない状態からでも何とか発音できるのに対して、子音は舌を上手く使い分けていかないとなかなか発音が難しいような音であり、それらを様々に組み合わせたものがいろいろあって言語というものは成り立っているのですが、子音とは取り分け区別を意識するデザインがあるとも言われています、そうしてまた日本語を遣う日本人の方は母音と子音の脳内処理が他の外国の方例えば身近であろう西洋圏の方とは少し違っていて、例えば母音は先ずは人の脳の仕組みから考えると始めに右側へ送られてのちに左側へ、子音は左側へ送られて母音と子音が区別されフォルダ化されている状態からそのフォルダを使って混ぜた後言語化する流れがあると言われるのに対して、日本人の脳内では、母音も子音も左側にまとめて例えば最初は仕訳して区別してから要約するような流れではく、初めからいきなり風呂敷に何でもかんでも掘り込んで包みこんで、風呂敷を広げたらこんなん出ましたよ的な言語化の流れの側面があるとも言われ、全員が皆足並み揃えてそうだ同じだとは一概には言えないのでしょうが、日本語の美しいさや日本人の独特な言語体系或いは表現豊か過ぎて習得理解が一般的に難しいとされる言語化について、日本語或いは日本人って国際的な比較の上で何かちょっと違うよね、というような側面を見出せるとも言われることを知ります、それは取り扱っている言語から派生して物事や現象をどう捉えて観たりどのように把握し理解し認知認識意識に上げているのかに、言語つまりは言葉が深く関わっていて、それが例えば環境が言葉を創り言葉が人を創り人は言葉から現実を創るというひとつの物語性に繋がる興味深いところを想います、体験的に言葉を使って表現することが多いとも言われるどこか主観的でもある日本語日本人の方々に対して、子音体系の諸外国の方々では外観的或いは客観的な現象や現実の説明文のような要約した表現が主にあり、その比較から観ても、単にひとつの言語や言葉と言えども、人により地域により又国により民族によって、言葉から起因する物事や世界の捉え方や表現の仕方理解の仕方に至るまで、様々にあると想って来た以上にいろいろたくさん違いがあるように想い観ました、それは例えば正確な例えかどうかは解らないのですが、ゲームをする場面では日本人の方はその世界観に自身を主人公のように没入してそのゲームの世界を主観的にリアルに捉えることが容易に対して、例えば英語圏の方はゲームはあくまでゲームの世界として外観的客観的に認識して自身がその中で動くというよりは自身が中のキャラクターを操作しているような感覚がより濃いような捉え方の違いがあるのかも知れません、技術が発展進化して今やバーチャルリアリティな世界観は誰もが気軽に体験することが可能ですが、もしかすると日本人の方々は、そんな技術を駆使しなくてももともと原始的な系譜から言語体系からバーチャルな世界にダイブしやすい能力を携えているのかもしれず、それは近年2次元や2.5次元の世界観いわゆるアニメや漫画という想像空間の多様性に優れた創作性を評価されるようになって来たように、日本人というモノは、とりわけ創造性クリエイティビティ或いは未知なる領域における世界観や仮想的な空間の創造にちょっと長けている可能性について考えて観ました、表現が適したものかどうかは解らないのですが、それはゼロからイチを産む力とイチからニやサンやと発展進化カスタマイズ再構築するようなアイデアや企画力や創造性にダイブ観に富んでいて、それはまさに風呂敷に何かいろいろ入れて観る文化的な物語や輸入したアイテムから独自のアイテムを更に作り出し発展進化させる学び力やそうした側面からも、日本の日本人の方々にはこれからの明るい未来を創る上では、その潜在的な能力や資質を人それぞれですが固有に発揮して個々が自信を取り戻しその比類なき創造性をもって大いに世界のために役立てて頂けると非常にありがたいように考えて観ました、ど素人な私が未熟な知識であれこれ考えても仕方ないお話でしたが、母音体系の言語圏の文化民族性を編む人たちは素養として内観から真理に辿り着く感覚や観測に優れていて、子音体系の言語圏の文化民族性の物語を編んで来た人たちには外観から真実を紐解く力が特化しているかもしれないと考えて観ました、日本人の方々が子音体系の文化からその思想哲学概念をインポートして真似して母音体系的な受け入れから乗り換え書き換え物語や現実を真理を紐とこうと試みても個人的なギャップは又人それぞれですが、なんかうまくいかない活かせないしっくりと現実に投下できない物語性があるのだとしたら、立ち返って観て原始的な日本人が持っている素養、外観アプローチではなく内観アプローチを得意とした先住民的な受け入れともいうのでしょうか、その辺りをヒントにこれから自分自身の在り方について考え直して観るのも面白いかもしれない物語

以上大変失礼致しました

ありがとうございました