言葉を書き換えて視点をズレるか考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

人それぞれですが、人がそれぞれ言葉を遣う以上言葉の意味や定義に縛られてその意味を知って理解してそうなんだと信じる以上その縛られる意味の世界から脱出するのは困難にも想えます、真面目な人ほど純粋な人ほど学業に専念したいわゆる青春のそのほとんどを勉強という受験戦争を勝ち抜き有名な学校で机の上に自身を費やして来たような賢くて知識が豊富な人ほど、一概には言えませんが言葉の意味の絶対性に囚われて視野が狭くなってしまう物語性も無きにしも非ずに想い観ることがあります、視野が狭いなんて表現を採用するとなんだか又それもいけないことのようなどこか劣等性を感じる方もいらっしゃるかもしれないのだけども、それもまた言葉の魔力ともいうのか、兎に角人はあらゆる面で言葉の意味や定義に縛られる物語性があると仮定した場合、言葉ひとつによって苦しんだり悩んだり不安になったりする要因がもしもあるなら、その意味を信じた自分自身を言葉に縛る世界から解放する意味でも、違う意味があるとしたらばとか、もしも自分自身で自分なりに考えて言葉に新たに意味や解釈を付与することができるならと、ある種の自分独自の辞書創りを遊んで観る試みが言葉を書き換えて観る物語とも考えて観ました

失礼致しますごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

例えば人の住むこの世界で問題は無くなることはないようにも想い観ました、人それぞれですが、何かしら問題を常に抱えていて問題が全くない何十年の歩みなんて物語も夢みたいに想える側面もあるのかも知れません、ただ例えばその問題という言葉に対しても人それぞれですが、いい印象とよくない印象をイメージするのは様々であるような気も致します、問題そのものは人の創造力を育むツールになり得ますし、例えば問題を考える問題を解く問題を解決に導くような文章に当てはめて観るとその問題に当たる部分を代数と考えた場合、例えば人生に置き換えて観たりすると、人生を考える人生を解く人生を解決に導く、という変換の等式が成り、嗚呼、問題は人生なんだ人生とは問題でもあるんだ、という捉え方をする人もいらっしゃるかも知れません、すると問題そのものは人をある種試すようなモノに見えたり出来るか出来ないか解るか解らないか、正解か不正解か、先生や親や師匠や出題者から褒めてもらえるかどうか或いは又自己の優劣を判定する指標となって合格か不合格か目指す夢観る登竜門を潜って自分自身は鯉から龍に成れるのだろうか成長できるのか出来ない資質なのかなどなど、問題に紐つく意味や解釈の信じてるあれこれが代入した人生という言葉を更に余計に忌深なデパフを付帯する物語性はまさに言葉の持つ呪の力縛る力のようにも考えて観ました、問題はお題だしお題を問いかけるクイズや大喜利のようなもんだし、なんて捉えて観る人からすると、例えば同じように変数として問題に人生を代入したとき、人生はお題だしお題を問いかけるクイズやパズルやらなぞなぞや大喜利みたいなもんだし、のように同じ意味に縛られるにしても代数変換した先の等式における意味の捉え方も違ってくる物語性があるように考えて観ました、問題は又例えば音的には、もんだい、というわけですから、例えばどんなもんだいよろしくダジャレかよと想ふかもしれないのですがその実その多面的な変換創造が大切で、問題は解決する為解く為正解する為にだけにあらず、自身ならどう観るかどう考えるかどう想ふのかどう紐解くか、のような、自分ならば、という視点にズレて観て、例えば問題がわからないという場面では、どんなもんだいが分からないというのか、例えばどんなもんだいっていうのは、えへんどうだい?よろしく、どうかな的なほら観てみなよ観てくれよ的ないわゆるちょっとした自己肯定感や自信を表して見せるような自慢のこれはどうだいみたいな物語性を考えた場合、もんだいってそれに対して自分ならどう観るか見えるのかみたいな意味付けにして観ると、もんだいはわからないものなのか、もんだいはだからどうしたというものなのか、どんなもんだいと問われてもいやいやわからんしどう応えたらいいのか知らんよろしく、例え問題が解らないとしても、肯定的にわからんしらんとつっこめるようなテイストを自分の位置に付帯する物語性も可能なような気がして考えて観ました、言葉の意味はひとつじゃないかも知れない物語、意味深があるなら意味浅もあるかもしれないですし、意味が有るなら意味なんてそもそも無いかも知れない物語、意味と聴いたら絶対音感を持つ人には単なる音階に聞こえるかも知れませんし、シンプルな実験としていみいみいみいみいみと唱え続けて往くといみって何んだろうと縛りが崩壊する自身を知ることも可能で、さんざん悩ましい想いをする言葉ひとつなんて何れにしてもそんなもんで自分独自の次第で何とか鳴ってるだけかもしれない物語、だとしたらば、人生とはとか幸せとはとか幸福とはとか満たされるとは何かとか挙げるとキリがないかもしれない様々な課題や問題や取り組みも誰かが決めた通りに真面目に従わなくなくたって自分独自の大喜利力で自分の為になるデパフを付帯効果として与え創造することは可能であるように考えて観ました、どう捉えてどう観るかはどう縛るのかという呪の仕組みと似ているようにも想います、人それぞれですが人は皆何かの意味に囚われて何かの意味に偏って信じるシステム性があることを逆手に利用するアクセスがおまじないでありのろいの原理とも想います、別の表現が可能ならばそれは言葉は魔法であり、魔法ひとつで自分自身にとっていい魔法を自分にかけるならなんとするかということかも知れません、世界には様々な魔法に関する物語がたくさんあると知りますが、自分ならその物語におけるどんな主人公や登場人物に当てはめて観てどんな魔法にかかりどんな魔法をかけるのでしょうか、言葉を書き換えて観る物語

どんな状況であれどんな物事であれ自身のクリエイトが自身の世界を描き変える力があると想ふかどうか信じるかどうか書き換えるかどうかは自分次第にも想ふ物語

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました