自分にとっての負荷について考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

社会性を持つ高等な生物の一種でもある人間は、周囲の人と協働しながら集まって生きている側面がある中で、一時期をピークに爆発的に増加してきた人の数は、その社会性というモノに対してどのような影響を与えてきたのか考えて観ました

人それぞれですが、その人その人における社会的な役割は、人生における生きがいや自身の存在価値、ひいては幸福度を高めるひとつの要因として案外重要なのかもしれないと考えて観ました

失礼致します

ごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

ゴールデンウィーク後半如何お過ごしでしょうか

たくさんの人たちが行楽観光に上向きな気分を増大しているようにも想い観ました、そのひとつの集団的なエネルギー機運のようなモノを例えば、風と書き換えて読んで観る場合、地球全土に生きている人々の気持ちや状況意識状態は全て把握はし切れないのだけども、自分自身が主観的に観る物事や状態情報の偏りは、自身が置かれている国や地域や民族性文化などなどにも相まって、囲まれている環境、所属する今住んでいる暮らしている土地や人間関係や組織社会に大きく影響されてしまう物語性について考えて観ました

仮に10人しかいない国であなたがその一員としてその土地に暮らしている場合、あなたはゴールデンウィークをどのように過ごすかもしれないでしょうか、その人の環境における人の数という影響、或いは又重力とも言い換えると面白いかも知れませんが、その力の圏内で発生する一種の抗えない磁場のような作用が、人を独断独立独行させる反対する共存協力協調同調ベクトルへ向かわせるかもしれないと考えて観ました、いいとかわるいとかいうお話ではなく、そうした作用によって人は、ゴールデンウィークにみんなでいっしょに同じような行動をすること過ごす物語性を持つものだと仮定した場合、休めるときには休み行けるときには行きやれるときにはやっとくことの役割分担について考えて観ました、例えば今シーズン多くの人たちが行楽地や観光地を訪れて、そこにある人それぞれいろいろな娯楽を楽しみ人生の豊かさや面白さワクワクをして体験する事行動することの有り難さ素晴らしいさ楽しさを体感しているとも想いますが、それら行楽地や観光地や飲食店やサービスを支えてくれているのは紛れもない同じ人である物語性が観えます、前述した例えばのように、それがもしも10人から成る世界ならば今現代人が享受できている例えばゴールデンウィークという待ちに待ったライブにあなたはログインできるのかどうかという有り難さを想い観ました、この社会性は、10人から100人、100人から1000人へと人の数という環境設定をどのくらい変えて行けば、バランス良くなって、与えるモノと貰えるモノとの平和的公平的平等的且つ幸福度の高い満足度の高い社会を形成することが可能なのでしょうか、10人の国で1週間くらいみんなが休み各々の嗜好や個性に合わせたゴールデンウィークを盛り上げる娯楽とは何か、5人は休み5人は娯楽やサービスを提供するために支える側に環境と成って生きるのか、それを交代交代しながら生きて往く時、原始的な社会性ではそのような物語性を編んで来たのだろうか、与えるのも役割ですが、貰うのも役割です、人が少なくて見渡せる範囲内での人それぞれの役割が明確で把握でき理解できれば、互いは互いにその存在意義の貴重さや重要性は理解納得できるけど、よく解らないくらいたくさんの人々がいる世界においては、誰がどのどんな役割をどこで誰に向けて相関して構成されているのかが一切観えなくなるが故に、人それぞれですが、生き甲斐や存在意義についての不確かさや疑問や不安を抱くように成るとしたら、人は今各々が各々についての役割についてもう一度改めて観る大切さがあるのかもしれないと考えて観ました、日本に来て驚くことは、海外それぞれの地域の人により様々だとは想いますが、例えば、道端にゴミがなくて綺麗だとか清潔な公衆トイレがあちこちにあるとか、勿論盗難や連れ去りや暴力的な危害の少なさもありますが、兎に角便利で豊かでそれを支えてくれている多勢の人々がいてからこそ成り立つその社会性に感嘆する部分が挙げられると考えて観ました、高齢問題や少子問題や働かない人の問題の増加率はあれども、そこには人々の数がありその人たちが又支える大量の物やサービスの消費という有り難さも想い観ました、ひとつの未来線に日本という国では人口が3000万から5000万規模に発展するという人の見解も耳にしましたが、そのとき例えばゴールデンウィークって、どんなウィークになっているのでしょうか、ミクロやマクロに観る力をスイッチバックして往く時、今住んでいる地域や所属する組織の社会、今自身の身近な環境とも言える家族や友人や仲間たちとの関係性を観るとき、自分自身のや役割とは一体何なのだろうかと、改めて見直して観ると、することとしないこと、やることとやらなくてもいいこと、与えることと貰うこと、与えていることと貰えていることなどの明確な把握や理解がより一層、これまでとこれからを分岐する興味深い物語性を編むヒントになり得るかもしれない物語

人が少ないと自身にとっての負荷やストレスなんて構っていられないくらいに僅かな人の中で協調し協働してわがままなんて言えないような暮らしを編むかもしれない仮定がある中で、今この時代のこの飽和状態や過度期とも言える豊富な状態だからこそ、今しかできないわがままな生き方や今自分に与えられている自由さについて有り難さについて素晴らしいさについて考えて観る物語

自分にとっての負荷や負担を改めて考え直して観て、余計な荷物も持たなくてもいい責任感も義務感も、やらなきゃいけないと思い込んでするのかしているのか、嬉しいから楽しいからすることなのかを考えて観る物語、たくさんの人がいてたくさんの人があなたの今日を支えてくれています、そして又何よりあなたもまた実感できないかも知れませんが、多くの方々を支えてくれている素晴らしい有難い存在の一員でもあります

何をしようと何を成そうとそうでもなかろうと、人それぞれいろいろあって様々ですが、だからこそ今できる事が又たくさんあり、今体験出来るあなたにとってのワクワクなゴールデンウィークをどうか編んで行けたらと考えて観ました

以上

大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました