そこで、たまたま出てきたブログがあったのですが、
ショックを受けてしまいました
そのブログの主さんはずっと死にたいと思って悩んでらして、
そして亡くなってしまい、
ご家族が最後に、息子さんの意を汲んでこれまでコメントをくれてた人のためにブログをアップしていたようでした。
そしてもう更新はないと。
ずっとコメントで励まし続けていた方々がいて、
本当に亡くなったのですか?
自分の息子と近い年代だから心配していたんです
というような事がコメントに書かれています。
本当に優しいコメントばかりで、つい最近見始めた私でも衝撃だったのに、ずっと見守ってこられた方々はもっとショックでしょうね…。
あまり長く見てしまうと気持ちが引きずられてしまうのでなかなか開けないですが、
以前は自分もその淵に立っていたのだなと思うと、怖くなりました。
それから、
こうやってずっと励ましてこられた方々がいたのに、
亡くなったきっかけを作ったのが、誹謗中傷のコメントだったようです。
他の方も書いておられましたが、そのうちの一件はもしかしたらコメント主も誹謗中傷とは思ってないかもしれません。
私も同じようにずっと悩んできましたが、
泣くときは一人で泣いてたので親も友達も知らなかったと思います。
皆の前では普通に笑ったり仕事の愚痴を言ったりはしゃいだりしてましたから。
よく言うじゃないですか、普通にこないだも楽しそうにしてたのに何故、とかって。
ブログでは文章だけなのでどれだけ苦しんでるかは伝わりにくい部分もあります。
だからこそ、察してあげたり、寄り添ってあげることが必要だと思うんですよね。
というか多分、ブログは本音に近い部分は書けるけど、人が見てるから100%の本音は書けないかもしれない。
たった一言で気持ちを楽にしてあげたり、大袈裟かもしれないけど救えることがあるのに、
誹謗中傷はたった一言で、励ましてくれる人たちの言葉を吹き飛ばしてしまうくらいの威力を持ちますね。
本気で悩んでいる人はどうしても視野が狭くなってしまうので、その言葉を捉えてしまうと頭の中が負の言葉でいっぱいになってしまいます。
以前私も、辛いのはみんな同じ、あなたが弱いせいだと言われて、ずっと皆ができることが私はできないんだ、自分の性格が悪いせいだと思ってきましたから、
もしあの当時ブログやってたとして、そこで気持ちを吐き出せていても、そういうコメント1つでどん底に引きずり下ろされてたと思います。
傷つくのも傷つけるのも簡単、だけどどんなに深い傷だろうと浅い傷だろうと、治る早さは人それぞれです。
自分が平気だからといって相手も平気とは限りません。
憶測は良くないかもしれませんが、
私がそうだったように、ブログ主さんも死にたいという言葉の裏に、生きたいのにうまく生きられなくて苦しいという思いがあったかもしれませんよね。
もしかしたら、ブログに辛いことを書くことによって普段の生活でなんとか頑張ることができていたのかもしれません。
そういう人にわざわざ誹謗中傷のコメントをするって最低だし、
それに、生きて欲しいっていう思いが込められた厳しいコメントなら分かるけど、
ぶっちゃけ死にたいとまで言ってる人に相手の気持ちを汲み取ってないような厳しいコメントはいらないと思います。
自分の大切な人がそうなっても、同じ言葉をかけるんでしょうか。
自分の言葉が引き金を引いてしまうこともあると思います。
長々と書きましたが、
SNSなどで見ず知らずの人にコメント書くなら、誰かを救えるような言葉を選びたいものだなと思いました。
優しい言葉って、追い詰められてる時は負の言葉より響きにくくて、それがあるからといってやっぱり生きようと思うかどうか難しいところですが、それでも届いてはいるものです。
私もどん底の時に一緒に病院を探してくれた事を今でも心に刻んでいますし、最近ではそれを友達にしてあげることもできました。
自分に返ってこなくてもいいから、苦しい人が元気になって、その人がまた他の苦しい人を助けることができたら一番いいのかなって思います。