夜も更け皆が寝静まった頃、ハリーはこっそりと、ロンにも見つからないように部屋から抜け出した。透明マントを被り、ハリーには行くところがあった。
他の子に比べて大人びては居たがハリーもやはり子供であり、両親に対する慕情は消えることはなく、時折それを満たしにハリーはこっそりとベッドを抜け出してあるところへ一人で行くことがいつしか習慣になっていた。トロフィー室だ。そこにはハリーの父、ジェームズ・ポッターの名が刻まれたトロフィーがあり、名シーカーであった彼の存在を神々しく主張していた。ハリーはケースに入ったトロフィーを覗き込み、父の存在を感じた。刻まれた名から懐かしい空気と愛情を得るような、そんな気がしてとても安心するのだった。しかし懐かしさの中に別の感覚があるのもハリーは感じていた。その感覚が一体なんなのか、ハリーは考えあぐねていた。
そんなある日、その日はいつもと違っていた。ハリーがふと人の気配を感じて顔を上げると、ガラス越しに合う二つの瞳。
「何をしているんだね、ミスター・ポッター?」
その黒い眼はいつもと同じ鋭い視線をハリーに向けていた。授業中でも、廊下ですれ違う時も、彼はいつでもハリーを鋭く捕らえていた。彼の、セブルス・スネイプの部屋に呼ばれ、彼の座る机の前に立たされて居る今現在も、その視線は変わりはない。
「一体あそこで何をしていた?」
「……トロフィーを見ていた、だけです」
嘘は言ってない、やましいことは何もなかった。時間帯を除けばの話だが。
「ほう、こんな時間にわざわざかね」
「僕はただ…っ」
「言い訳はいい、ミスター・ポッター」
ぴしゃりとスネイプは言い放ち、溜息混じりにお得意の厭味を漏らす。
「下らん規則破りをするのも、お父上によく似ているな」
その物言いはどうやらハリーの癪に障ってしまったようでハリーは眉をしかめてスネイプを睨む。
「……父さんと僕を、比べないで下さい」
父と似ていることはいいことでも悪いことでも嬉しいといつもなら思うのだが、何故か今回は違った。歯向かうハリーの姿にスネイプは鼻で笑う。
「ほぉ…嬉しくないか。よく似ているぞ?外見、話し方、行動、どれをとってもそっくりだ。入学してきたのを見てすぐお前がポッターだとわかったからな」
ハリーは気付いた。スネイプからずっと投げ掛けられていた視線。あれはハリーを見る視線ではなく、ハリーを通して父のジェームズに向けられた視線であったことを。
「先生。僕は父さんじゃありません」
ハリーは今までに感じたことのない悔しさを感じた。父を知っている者は皆、ジェームズの息子であるということはわかってはいたが、誰しもがハリーを「例のあの人」に勝った少年だという目で見ていた。ホグワーツに来てからは誰しもがハリーを知っていて特別視する人も少なくない。彼を特別扱いこそすれ、彼自身ではない他の存在として見るものなど魔法界には居なかった。今目の前に居るスネイプを除いては。
「そっくりだ、と言ったまでだ」
「先生は僕を見ていない」
ハリーの言葉にスネイプは一瞬言葉を詰まらせた。
「……言っている意味がわからんな、ポッター」
「ポッターと呼ばないでくれ!」
ハリーは思わず目の前の机を叩いて叫んだ。ポッター、父をそう呼んで居たのだろうかと思うと堪らない気分になった。
「何を言っている、ポッターだろう?」
「僕はハリーだ。ジェームズ・ポッターじゃない……」
スネイプはハリーの言葉の意味を理解したのか眉を寄せて表情を顰める。
「……当然だ、お前がジェームズであるわけがないだろう」
一瞬瞳の強さを失い呟いたその言葉はまるでスネイプが彼自身に呟いているかのようだった。ふと洩らしてしまったその言葉に気付き、切ないとも取れる表情に緩んだ顔を再び強張らせ、ハリーから視線を外す。
「もういい、寮に帰りたまえ。グリフィンドールは20点減点。教師に向かって失礼な言葉遣いをしたことは免除しておいてやる」
スネイプはそう言うとハリーに出てけと言わんばかりに椅子から立ち上がろうとした。その瞬間ハリーは机を回り込みスネイプの目の前に立ちはだかる。
「先生、父さんはもう居ないんだから」
ハリーの言葉にスネイプは一瞬動きを止める。
「………下らん話はするな。そんなに減点されたいか」
そう言いながら鼻で笑うスネイプの姿は些か無理をしているかのように見える。早々に話を切り上げたい様子で立ちはだかる少年の肩を押しのけようとしたその時、ハリーは伸ばされた手首を掴み思い切り引き寄せる。いくら大人と少年と体格の差が有ろうとも突然のことにスネイプはバランスを崩し力のままに引っ張られてしまった。足元を保って小さな安堵を洩らしたのも束の間、視線を上げると其処には射るような少年の瞳。
「先生、僕を見るのが怖いの?」
少年の瞳は痛い程に、強かった。あまりの強さにスネイプは言葉を失い、何か言いかけては口を噤むことを何度か繰り返した。
「……先生、僕を…」
「っ…ポッター!」
息を詰まらせながらも精一杯の力で叫ぶようにハリーの言葉を遮る。暫しの沈黙。
「…………先生、もう父さんを見ないでよ」
そう呟くハリーの瞳は切なさと哀しみを併せた色をしていた。
「我輩は別に…っ…」
「もう、父さんは居ないんだ!」
言葉を制するハリーの言葉の強さにスネイプは少し身を竦めた。
「今先生の目の前に居るのはこの僕だ、ハリーだ!」
語調を弱めることなくハリーは言葉をぶつける。その強さから本能的に逃げようとスネイプは身を退こうとしたがハリーは彼の腕を掴む力を更に強め、離そうとしない。
「先生……何を怖れているの…?」
(怖れてる…?我輩が……?)
スネイプは心の中で自分に問い掛ける。答えは見えない。
「……僕は父さんみたいに、居なくなったりしない」
その言葉に、スネイプは微かに唇を震わせた。最早彼の目にいつもの強さはなく、ただ映し出される目の前の少年の姿で一杯だった。
「僕は何にだって負けやしない。貴方の前から消えやしない。……だから、怖れないで、先生」
ハリーは身動きの取れないスネイプを解放し、彼の腕を捕らえていた自らの指に口付けをしてその指を震えるスネイプの唇へ触れさせた。
解放されても尚四肢を動かせずに居るスネイプからハリーは身体を離し、踵を返して扉へ向う。
「それじゃあ、おやすみなさい、先生」
少年が静かに部屋から去った後もスネイプは呆然と立ち尽くして居た。
震える指でハリーの指の温もりの残る唇に触れる。スネイプはまるで魔法にかけられた、そんな感覚を覚えた。