過去の記憶 | 幸せな人生の生き方

幸せな人生の生き方

娘がお腹にいると分かった時「私、幸せに生きる生き方教えてあげれない」と思ったところから、本来の自分とは?宇宙とは?幸せとは?あらゆる体験から答えを見つけ出し分かった事をシェアしています♡

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先日、息子が初めてのピアノの発表会でした。

 

 

 

わたしがピアノを始めたきっかけは、どこで聴いたのか分かりませんが、ピアノの音色と

 

クラシックの音楽を聴いて体中に感動のでんきがはしったのは覚えています。

 

そこから、母にピアノが習いたいと確か2年ほどおねだりして、小学1年生の頃にお家に

 

ピアノが届いた日のことは今でも覚えているほど嬉しかったです。

 

 

 

それなのに、私はここから20年近く、大変苦しい思いをしながら音楽を続けていました。

 

 

嫌いではないのです。好きなのですが、自分の意思で奏でることが許されないと感じて

 

いて、先生の、周りの大人の言う通りに弾くことしかしてはいけないと思っていました。

 

 

ですが、これがないと私は生きられないような錯覚を持っていて、このどぶのような

 

場所からずっと抜けれなくて、もがくとよけいに深く沈みそうで、

 

ただただ、自分の心の声にも、周りの声にも何も感じないようにじっとするのが精一杯

 

だったのです。

 

 

 

 

そんな時、グランドピアノをどうしても手離さなければいけない時がきたのです。

 

グランドピアノが運ばれていったあと、断腸の思いってこーいうことか、って初めて

 

知りました。

 

この世界から自分がいなくなりそうで、必死にピアノがあったお部屋を掃除していました。

 

 

その後、その悔しさや悲しさに蓋をして、重りまでおいて完全密封(笑)していました。

 

 

 

 

そして昨年、時が満ちたのか、ここが癒されないと前に進めないことが起こりました。

 

一言声に出してみました、

 

「ピアノ、売りたくなかった。私のグランドピアノ返して」と。

 

 

あんなに泣いたの初めてかもしれません。子供の時も「泣いたらあかん」と育ててもらって

 

いたので、あれほどにわんわんと泣けたのは自分でも不思議でした。

 

 

 

 

あの瞬間は、大袈裟ですが、私には大袈裟でなく、ベルリンの壁が崩壊したようなときでした。

 

私と「幸せ」との間を堅固な壁があったのです。

 

 

私は弱い人間に見られたくなくて、大事な苦しみや悔しさの経験をあたかもなかったように

 

してしまっていました。

 

 

 

このことを通して、私は苦しい悲しいという思いは決して見て見ぬふりをしてはいけないと

 

感じました。自分に寄り添い思いっきり悲しむ。これ以上吐き出せないくらい悲しんだら

 

ゴミとして捨ててしまいましょう。普通ゴミだって、まとめて置いておけば、ゴミ収集車が

 

持っていってくださいます。

 

 

 

 

私たちは誰一人として例外なく、神様に愛され幸せになるためだけにうまれてきて

 

いるのです。素敵なパーティーです♪

 

綺麗に着飾っているのに、ゴミを持ってパーティーに出かける人を私は見たこと

 

ないです(笑)

 

 

 

十分に味わった苦しみ、悲しみ、辛さ、切なさ、悔しさ、それらのものずっと持ち続ける

 

必要ないんです。

 

 

私もそうでしたが、またこんなことが起きても傷つきすぎないように、って恐れに支配

 

されて持ち続けてしまうのですが。

 

恐れは性格とか、癖とか性質ではありません。

 

 

恐れは私たちが幸せになるのを邪魔する、敵の攻撃、毒のようなものです。

 

 

 

 

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毒を注入して、ゴミをもって毎日過ごすよりも、美味しいものを食べて、感謝や喜びを

 

もって毎日過ごしたいですよね。

 

 

 

 

 

読んでくださった方々にも溢れるほどたーっくさんの祝福がありますように。