世間には「いじめ仕方ない論」者は結構いる

その常套句は「いじめられる方に原因がある」

さて、こういうことを言うバカ野郎を

今回はじっくり料理していこう



いじめられる方にも原因がある、ならば

それが殺人事件であった場合、

「殺される方にも原因があるか」と聞いてみよう

「ある」と答えたら、殺人容認者である

いずれ理由をつけて殺人ないし犯罪をするから

付き合いを考えよう



「ないけど、レベルが違う」と言った場合は

「あなたの大事な人がいじめられたら、

その人に『原因はあなたにある』と言えますか?」

と聞いてみよう

その場のノリで「ああ、言うね」なんて開き直ったら

もう勝負はついたので追い込みはしないであげましょう



いじめは必要悪ではなく「絶対悪」であるという

意識を大人が持っていなければ未来ある命は

守れないのだ

守れない者に何かを語る資格はない

ただの敗北者でしかない
またも罪なき少年が自ら命を断った

担任教師との交換ノートにはSOS

離婚後、父親と一緒にすむことを選び

岩手へ引っ越したと言う心優しい少年は

友人からの「虐待」によって殺されたのだ



普段使うことの無い電車の切符が7枚、

テレビに映った

ためらった回数であると思われる



現実として彼を誰も守れなかったのだ

こんなに「大人」がいるのにだ



さて今回注目されているのは

生活ノートの交換により教師へ「いじめ」が

知られていたはず、ということ



この教師を擁護する情報が多いが、

まさにそれこそがひとつの「証拠」となる

評判が良い教師には必ず裏がある

それは一人の生徒を「生贄」にしている

教室に教師公認の生贄が作られる

作り方は簡単だ

みんなの前で「つるし上げ」て

暗黙の了解ができる

教室全体が一人を異質なガン細胞の如く容認

これで結束と犠牲者の悪魔の取引が成立する



また教師はいじめている生徒を呼び出し

叱ったというが、義務的で形式的であったと推測する

一応やることやったということで

実際、こういった最悪の結果になって

ポジティブな情報が流れ同情も出ているから

作戦成功なわけである



子どもが好きで教師をやっている教師は

ほぼゼロだ

サラリーマン教師が99%なのだから、

そっちの問題を持ってくるな、迷惑だ、

くらいにしか思ってない

子どもの問題なんだから、大人は知らんと



前にも書いたが、

子どもがさして好きでもない人間は

教師になるな、教師をすぐにでも辞めてくれ

そういう気概の人間の存在そのものが迷惑だ

違う方法で金を稼いでくれ

「自信を持て」

人生に「自信」などは必要ない、そう思っている

自信があって勇気のないヤツはどうしようもない

で世の中、そういうのが多い



自信がないからじゃない

勇気が無いんだ

行動する勇気が無い

だから何も始まらない

挙句には高みの見物で評論をかます



自信は自惚れと同じだ

謙虚な姿勢と、いざというときの勇気

自信なんて必要ない

本当に必要なのは勇気だ