この本の中にある‟メモワール”というワークに取り組んでおります。の3週目。

 

 

 

 

 

▼1週目▼

 

▼2週目▼

 

 

 

 

 今週はメモワール3期(9~12歳)でした。

 

メモワールとは

    

    

現在の年齢を12分割した年齢ごとに今までの人生を振り返る。

これを1週ごとに12週間続けていく。

 

 

思い浮かんだのは友だちの顔。

なんだけど、名前を思い出せた子が少ないことに驚く。


そしてあの頃は、よく一緒にいた子を‟友だち”と呼んでたなぁと思い至りました。

作られた枠(同じ地域、同じクラス)の中で、なんとなく一緒にいることになった子。

なんとなくとはいえ、そのときは引き合っていたのだと思う

 

その子たちと一緒にいて嬉しい、楽しい…もあったけど、どちらかと言えば

一緒にいる子がいる、遊べる子がいるってことに安心を感じてた。

 

そんな感じだったかもしれないです。

 

 

 

唯一ひとり、あぁ、この子のこと大好きだったなぁと思い出した友だちがいました。

 

きっとその子もそう思ってくれてるだろうと思ってた。

でも実際、その子にとって私が一緒にいて嬉しい相手だったかどうかはわからないなぁ…


どこまでその子のことを見ていたのか。

どこまで一緒に遊んだ子たちのことを見ていたのか。

 

そのときの自分なりに見てたのかもしれないけど、感覚としては思い出せなくて。

ちょっと愕然としていたところに続いていくつかのワークをしていったら…

 

小学校時代にかかわらず

築いてきたと思っていた人間関係は、もしかするとすごく希薄だったかもしれない

と思えて絶望しました。

 

 

 

寂しいがいっぱい出てきた1週間でした。

 

 

 

 

今も友だちといえるのはほんの数人。

 

数は少なくてもいいのだけど、その友人たちにさえ私はどんな心を表していたかなぁと。

向けていてくれたかもしれないものを、どれだけ受け取っていたかなぁ。

 

大切に想う気持ちがなかったわけじゃない。

 

一緒に時間をすごしてるってことが私にとっては全てで、

改めて言葉にするのが気恥ずかしかったり

どう表したものかわからなかったりもした。

 

 

 

でもね、やっぱ言葉にしないと伝わらない。

というか、

言葉にしてもらえると嬉しい

ってこと、あるよね~

 

 

 

それを私はダンナさんと結婚して思い知りました。

ほんとによく、さらっと気持ちを表してくれる人です。

 

両親からの愛は感じて育ったけど、‟言葉で”というところでは二人の不器用さを見事に引き継いでいると思う。

 

ダンナさんと一緒に過ごすようになってから、少しずつ、少しずつ、言葉にして伝えることもするように。

 

 

 

直接言葉に表さずとも伝わってるものがあったなら有難いけれど。

 

わかりやすい愛情表現のできなかった私とこれまで一緒に歩いてくれた友人たちに改めてのありがとうを。

 

そして、大切だなと思う人たちに、もっと心を開いて言葉もかけていけたらいいなぁと思ったのでした。

 

相変わらずかもしれないけど、相変わらずなりに。

 

 

 

アーティストデートは、ゴッホ展へ♪

 

 

愛を表すことの不器用さという点で、ゴッホと通じるものがあるのです…(苦笑)

あそこまで振り切れてもいないけど

についてはまた別の記事で。

 

と、「大切にする」について持っていた思い込みも浮き彫りになってきたので、また改めて書いてみようと思います。

 

 

 

こんな3週目。

先が思いやられるし、何が起こるのか楽しみでもある。

 

またご報告します。