みんな仲良く

が好きです。

 

 

って、前にも書いてましたけど

 

 

 

仲良くならなくてもいいけど

仲良くいるに越したことないと思ってます。

 

 

仲良く=お互いを尊重し合えること

 

 

なのですが…

根がビビりなもので

どこか新しい輪や関りの中に入るときには

 

仲間に入れないんじゃないか

仲良くなりたいなんて思ってないんじゃないか

 

なんてことが息をするように

自然と頭をよぎります。

 

 

 

 

そうして、

それならそれでしょうがない

ひとりでも私は平気です

むしろ入れてもらわなくても大丈夫です

みたいなことを(心内で)し始める。

 

 

何も

起きて

いない

のに。

 

 

逆に、"相手にとっていいように"に寄りすぎて

自分はどうしたいのかがほったらかしになることも。

 

 

相手にとっていいようにと言いながら

仲良くできたらうれしいなと思いながら

それが(思うように)成されなかったときの

悲しさを感じたくなくて防御線を張る。

 

 

そんな経験がいっぱいです。

 

 

 

 

それが最近もうっすら出てきた。

 

 

‟悲しさを感じたくなくて防御線を張る”

それはそれでそうなのだけど

ふと浮かび上がって見えたもう1歩奥にある想い

に愕然としました。

 

 

わたしは

あなたたちとは

違う

 

 

……(゚Д゚;)

 

 

お互いの‟違い”に優劣をつけて

自分を上に置いてみたり

(相手を見下したり)

自分を下に置いてみたり

(自分を卑下したり)

そういう線引きをしていた。

 

 

仲良くなれないんじゃない。

そもそも仲良くなりたいと

思ってなかったんです。

 

 

(-_-)

 

 

 

 

 

‟仲間に入れてもらえなかったら悲しい”って

どこか被害者っぽくなってた自分に

ウゲウゲしましたよ。

 

 

悲しいも感じていいんだよなんて

優しく寄り添うようなことでもなかった。

あぁ恥ずかしい

 

 

そんな気持ちが潜んでいたのか!と

苦々しいやら申し訳ないやらでした。

 

 

 

 

「違い」は違いとしてあります。

いろんな色があるのと同じように。

 

 

似たような色合いで分類しようと思えば

そこに線を引くこともできる。

赤系、青系、黄色系、緑系とか

暖色系、寒色系とか

濃いとか薄いとか

 

 

でもそこに優劣をつけるのはいらないですね。

 

 

 

 

こういうモノサシを使っていたことに

気付いてはやめることをしています。

 

 

気付いてやめたら

仲良くなれるかっていうと

それは相手のあることなので

わからないけれど。

 

 

それこそ

自分に言い聞かすでも

あきらめるでも

開き直るでもなくシンプルに

 

 

お互いを尊重し合うところに

立つことができると思うのです。