みんな仲良く
が、昔から好きです。
明るく怖いものなしだった幼少期を経て…
転校してクラスのある男子に目をつけられるようになったときは、とまどったけど馴染めるようにがんばったし
男の子からからかわれやすい子とは一緒に遊ぶようにしてみたり
なんか嫌だなぁと思う子と隣の席になっても顔に出すまいとしてた。
中学に入ってあるグループに無視されるようになったときは悲しいやら苦しいやら。
でもその原因は明らかに自分だったので(-_-;)
悪気はなかったんだよって
寂しかっただけなんだって
わかってもらおうわかってもらおうって
積極的に関わるようにしてました。
新しい場所で馴染めるように頑張ったのは
仲良くなりたかったというより
生存本能だったかもしれない。
一緒に遊んだのは
その子と遊びたかったからじゃなくて
かわいそうだったから。
でも一緒にいても楽しくないから自然と遊ばなくなっていったし
嫌だなぁはきっと隠しきれてなかったと思う。
無視されるようになって、すり寄る姿はこびへつらってるように見えただろう。
必死だったし
逆に失礼だし
すっごく残念だし
みっともなかっただろうし
でもそうとしかできなかったな~
みんなと仲良くできる自分でいたかったから。
仲良くいたくて
自分を抑えてみたり
距離感をとることを覚えて
仲の良さ=波風が立たないことを
良しとしてきたところがあります。
相手とぶつかることを極力避けてた。
だって仲良くいたかったから。
だから感情を露わにする人が苦手だったし
勝手だ!と怒りすら湧いた。
それでもできれば仲良くいたいから怒りも押し込めながら。
そうして
自分がどうしたいのか
好きなこともやりたいことも
わからなくなっていったのです。
自分を抑えなくても
というかむしろ
ありのままの自分でいることで仲良くいることはできるんだ!
と知ったときは希望でしかなかったです。
ただ、その希望の世界は
“仲良く”の意味が違ってた。
仲良く=お互いを尊重して居ること
好きになれなくてもいいし
理解できなくてもいい。
それでも自分を抑えることなく
相手を排除しようとすることもなく
共にいる時間を過ごすことができるって
信じられますか?
私は信じたいと思いました。
だから、この意味づけを採用することにしたんです。
私は相変わらず“仲良く”が好きです。
仲良くする
というか
仲良くいる
のが好きなのです。
相手を認めているし
いいもの創りたいし
感じ合いたいものがあるから
臆せず思ってることを
言うようにもなりました。
なにより一緒に感動したいんですよ。
いいものできたよねー!!
いい時間だったねー!!
って。
先月の朗読会での一コマ
もし残念な結果になったら
一緒にガッカリするのです。
これまで染みついたものから
おかしなことをしだすときもあるけれど。
そんな自分とも仲良くできたらなと思っています。