結果を求めたく…
なります。
なります。
なりますとも。
だって、これまでやってきたことを最高の形で表せたらいいなと思うし、温めてきたものが誰かの喜びになったらとっても嬉しい。
良かった!楽しかった!嬉しい!って、清々しく思いたいじゃないですか。
そんな想いが‟失敗が怖い”を呼び起こす。
「失敗したって死なないから」
「失敗なんてない」
「全てネタになる」
その言葉に気持ちが楽になったこともある。
それでも怖いものは怖いし、嫌なものは嫌なのです。
だからもうこれは、怖いなぁ~嫌だな~でいいことにしました。
ただ、その怖さや不安を「やりたいことをやらない理由」にしないでいようと。
そのうえで、気持ちが楽になった考え方をもうひとつ。
“最高の形で披露できたらいいな“
“温めてきたものが誰かの喜びになったら“
って先にも書いたけれど、そもそも…
何をもって最高か
何が喜びになるか
わからない。
自分の思う結果とは違っても
それが誰かや何かにとっての
‟最高”‟喜び”になることがある。
情けないと思う姿を見せたことが誰かの勇気になったり
いまいちだったと思ったことに謎に感動してもらえたり
反面教師になることでその人の変容につながったり…
「失敗」と思う結果もむしろそれが必要で起きたのかもしれない。
そんな風に思うと力が抜けて、健全に今に集中できたりします。
「自分がすることはすべて望む世界に繋がってる」
「私にとってもあなたにとっても常に最善なことが起きている」
そうなったから信じられるのでなく、信じるからそれは起こるのだとしたらどうだろう?
信じてみるとどうなるか。
結果に囚われようと囚われまいと、どんな結果も最善になってしまう。
望んだものとは違っても、最善の結果が出ると決まっている。
怖いものは怖いと認めつつも、そんな世界を生きてみようと思っています。