頭木弘樹さんの「自分疲れ」という本を読みました。



以前図書館で予約リストに入れていたようで、順番が回ってきました。

自分に疲れてるなんて嫌だな、あまり読む気がしないタイトルだなと思いつつも読んでみました。



読みやすくて、「自分疲れ」という意味の捉え方が変わりました。



以下、自分が心に残った文章の抜粋です。





ニコニコ体についていちばんよく知っているのは、体に問題が起きた人。



ニコニコ体の変化によって感情が生まれるのであれば、体がないと感情もないことになる。

感情のない心など、ありえない。感情まで含んだものが心。

心にとって体は欠かせないもの。



ニコニコロボットには内蔵がない。

もしロボットやAIに人間らしさ、「ココロ」を持たせたいのなら、ロボットやAIにも内臓が必要。



ニコニコすべての世代の「わたし」が生き続けている。

57歳の体には0歳も、13歳も、22歳も、45歳も存在している。

ぼくは多世代人格によって成っている。

しかしながら57歳であるぼくは、年齢の概念に縛られて年相応の振る舞いをするように、ぼく自身に命令する。

いろんな年齢の自分がいるという意味でも、心の数はかなりたくさんなのかもしれない。



ニコニコ脳内会議とは別に体内会議も行われていて、「自分」の言動はその両方の会議のすりあわせによって決まっているのではないか



ニコニコ病人や障害者の感じる不便や生きづらさの多くは、じつは社会が健常者と言う多数派に合わせて作られているから。

社会が変化すれば、不便や行きづらさも減る。

こういう考え方を「社会モデル」と言う。

「障害は、人と社会との『あいだ』にある」ということ。



ニコニコ相手に対して心を開いていなかったり、拒絶する気持ちがあると、相手の出した食べ物を口にしない。心を開いて受け入れると、口にする。

食べることは人と人とをつなぎ、食べないことは人と人を断ち切る。(共食圧力)



ニコニコ子供が偏食だと、つい親が怒ってしまうということがある。しかしそこには「自分が拒絶されているのでは」という不快感や不安も混じっているのではないか。 



ニコニコ自己コントロールは、社会生活でとても大切。自分の欲望や欲求を適切にコントロールできなければ、社会生活は送れない。

これも自分に疲れる大きな原因。



ニコニコ自己コントロールの源が排尿、排便のコントロール。自分をうまくコントロールできているかどうかの、ひとつの象徴。



ニコニコ悲しみは人と人をつなぐ。

たとえ欠点や弱い部分でも共鳴し合う部分があれば有効なコミュニケーションツールになる。

完璧な人間などどこにもいない。

誰にでも必ず弱い部分はある。



ニコニコ自分疲れの原因は、自分ばかりにあるわけではなく、社会からの圧力や嘲笑もじつは大きい。

社会から自分がどう評価されるかを気にしないようにすることも大切。



ニコニコ少数派の生きづらさに、多数派の人は気づけない。だから、生きづらさを感じている人自身が、どういうふうに生きづらいか、声をあげて、説明する必要がある。

ある少数者が生きやすい世の中は、別の少数者にとっても生きやすい世の中だし、多数者にとっても結局生きやすい世の中。



ニコニコどんな強い人にもどこか弱いところがある。

多数派の人でも体や心のどこかに少数派なところがある。その弱さを隠したり克服したりするばかりでなく、もっと大切にしてもいいのではないだろうか。



ニコニコ鳥を解体していると、継ぎ目がない。臓器は違う動きとか違う素材が一体になっている。

本来はひとつながり、ということを忘れてはいけない。



ニコニコもともと自然界には明確な区別というものはあまりない。人間はさまざまな区別を作って分類して、理解している。



ニコニコ人はつい、白か黒かと考えてしまいやすい。しかし、実際には物事はグラデーションであることの方が多い。つまり、白と黒の「あいだ」がたっぷりある。



ニコニコ「曖昧さ耐性」は高いほうがいい。

なぜなら、確実に未来を予測する事は不可能だし、人の気持ちを完全に知ることも不可能だし、人生は基本的に曖昧なものだから。



ニコニコ本当の自分とは、という難問も、「そんなものはなく、その時々の自分がいるだけだ」ということになる



ニコニコ「自分はこういう人間だ」と固定的に考えるより、「あいだ」の存在と考えるほうが、自分疲れもましになるのではないか。

自分のことを「あいだ」の存在と考えるということは、他人のこともそう考えるということ。



ニコニコ私たちは、じつはかなり決まりきった範囲でしか、心と体を動かしていない。

決まりきった動きしかしていないと、体がこって疲れるように、ストレッチやヨガで疲れがほぐれるように、決まりきった自分でいるよりも、「あいだ」を漂っているほうが、自分疲れもとれると思う。





この本は、文学作品を紹介しながら「自分」を 「心」と「体」に分けて考えていき、次に社会から見た「自分」などを考察し、最後にまた「自分」をまとめていて、「自分とは何か」の理解がより深まりました。



潰瘍性大腸炎という難病を患った筆者だからこそ、たどり着いた思考が沢山書かれいると思います。

筆者が考える「自分疲れ」にとても共感できる部分が多かったです。



本文で引用された文学の紹介の1つに

「1年1組せんせいあのね 詩とカメラの学級ドキュメント」があります。



小学1年生の子どもたちが見たこと、聞いたこと、感じたことを自由につづった詩集で大人には書けない面白さがあるそうです。



もうすぐ一年生になる長男が日頃、どういうことを考えているのか知るヒントにもなりそうなので、この紹介されていた本はぜひ読みたいと思います。




いつかの双子男子が作ってくれたおままごとのお料理飛び出すハート

一生懸命作ってくれる姿はとても可愛いですキューン