1974/02 石巻線SL撮影旅行
1974/02/09-10 石巻線撮影旅行 1日目 その1
お読みいただきありがとうございます。
ちょうど半世紀50年前の2月の連休を利用して石巻線に行った。
もはや、記憶がほとんどない。
そして、この撮影旅行からは記録も全くない。ネガケースのメモもこの頃から書かなくなっていたので、ネガとSLダイヤ情報と当時の時刻表から再現を試みたが、今回は、流石に、途中からほとんど解釈不明...。
とりあえずの推測を記録しておくことにする。
もうこの時点で、本州でSLを撮影できるところは非常に少なくなっていた。
大湊線C11、阿仁合線C11、陸羽東線(区間客レ)・石巻線C11、磐越西線・日中線・会津線・只見線C11、七尾線C56、倉吉線C11、山陰本線D51・C57、三江北線C56、それに入換用と予備機が少し。
そしていよいよ春の時刻改正で、会津と山陰のみに減る予定だった。
春休みは北海道撮影旅行を決行するつもりだったので、この連休は、撮影できる本数や予算の都合も勘案して計画を立てたはずだ。
辛うじて残るメモによると、当初は会津にまた行くことを計画していたようだ。
だが結局、行ったことがない石巻線に決定。
同行は恒例のKくん、Yくん、弟だったと思うが、これは、あやふやな記憶...。
1974/02/09
上野から夜行で石巻へ向かう計画。
どの列車だったかまったく記憶がない。
該当する夜行は、まつしま6号が運休期間とあるので、いわて3号だったと推測。
105M いわて3 上野2332-520仙台
6113Mまつしま6 2315-516(運休中)
可能性としては夜行急行の十和田4号か臨時の十和田5号も考えられるが、わざわざこちらを選んではいないと思う。
203十和田4 2321-534
6205十和田5 2330-612
1974/02/10
午前中の行動はだいたい推測できた。
仙台から、仙石線で石巻へ
電車に乗り換えた記憶はある。松島の辺りの風景も少しは記憶があるが、これは翌日の記憶かも。
乗ったのは、到着直後の接続の始発電車だろうか。電車で、本数はそこそこあったようで、乗り換えが5分しかないことから次発だった可能性もあるが、石巻の写真からおそらく始発に乗ったのではないかと思う。
当時の交通公社の時刻表でも、始発と最終以外は、朝夕約5-15分間隔、日中約15-30分毎という表記。快速、特別快速の時刻しか載っていない。
仙石線 仙台525-650石巻523M
車窓からだろうか
石巻駅は、当然、当時は改装前で、仙石線の「電車駅」と石巻線の「汽車駅」は少し離れた別々の駅だった。
知らずに降りて、ちょっと驚いた記憶はある。降りて振り返った電車駅のレトロな風格に強い印象を受けた。
石巻線の汽車駅へ
さっそくC11を撮影している。
これは、おそらく石巻線を女川に下る列車の
[1891] 石巻730-817女川 C11249
だろう。入れ替え作業から撮っている。
この列車は小牛田から891レとして下ってきて石巻に到着、そのまま列車番号が1891レに振り替わる仕業番号13の運用だろう。
[891] -646石巻
側線にもC11が1両停まっていた。
C11215
これはあとで、860レとして小牛田に向かう予定の停泊中だったらしい(もちろん当時はそこまで知らず)。
C11249の入れ換え作業
そして出発
このドレーンたっぷりの出発シーンは、いつか撮りたいとずっと思っていた一枚。
現像して、すごく満足した記憶が残る。
左に写っているのはおそらく先客?
ネガカラーはレンジファインダカメラで、結構広角気味。
このときのフィルムも保存状態は非常に悪く、発色もおかしい。
構図からの推測だが、どうやらこの時点では三脚の上にプレートを付けて、2台載せていたようだ。
slikのプレートを使っていた記憶がある。今のプレートIIの旧製品か。
いわゆる鉄ちゃんバーことマルチバーは当時はまだなかったと思う。
slikのplate deluxeというのを今も持っているが、どこかで失くして買い直したようなあいまいな記憶。ベルボンのプレートもあるので勘違いして買ったのだったか。
運台を追加しないと構図に自由が利かず使い勝手が今いちだった。のちに小さい自由運台を追加した。
出発直前に1枚撮って、巻き上げておいて、一眼レフで撮ったあと、すぐにシャッタと切ったようだ。
トリミングして仕上げ
次回も石巻駅C11
続く