1973/08 北海道SL撮影旅行
8/22 その1
お読みいただきありがとうございます!
いよいよ撮影の最終日。
たぶん当初の計画では、このあと以下のようだったらしい。
いわゆる長万部返し(夜行列車を深夜に長万部で乗り換えて戻る)で苫小牧に早朝入る。そこから日高本線を、富川、静内、東静内、日高三石、浦川と撮影して、札幌に戻る。
もう一泊長万部返しで、苫小牧、追分から清水沢に入り、大夕張鉄道を撮影、また札幌に戻る。
夜行すずらん6号で大沼付近で撮影
函館から連絡船、八甲田で小牛田から陸羽東線を陸前古川、堺田、中山平と撮って、小牛田に戻りいわて2号で、周遊券期限のギリギリで帰京するという壮大なもの。
これは実行しなかった。陸東は、すでに無煙化(陸前古川までのC11客レは残っていたかも)していたからやめたのだろう。
代わりに、青森からつがるで郡山に入り、会津若松から宮下、早戸辺りで撮ることも検討したあとが残っている。
結局なぜやめたのか記憶は全くない。Yくんの帰ってからの予定がなにかあったのかもしれない。
この日が撮影の最終日となる。
1217レ すずらん6 函館2359-450苫小牧
で早朝苫小牧に入る予定だったが...
寝過ごしたのか、どうも乗り過ごしたらしい。記憶がはっきりしないが、どこかでやらかしたことがあるような気もする。それがここだったようだ。
1973/08/22の日付の千歳の入場券があるのはそのせいらしい。
-526着 千歳
千歳715-746苫小牧 722D
C11を1枚撮っている。苫小牧駅のホームかららしい。
[6881?] C11209 苫小牧807
当初の計画の日高に向かうつもりだったか、その前に変更するつもりだったかは、記憶もないしもはやわからない。
そして...
少年撮影団解散!!
ここで、1つ年下の二人と別れ、元同級生Yくんともれなくついてくる弟との3人になったらしい。
これは、何かの理由で、計画のときからなのか、それとも乗り過ごしが関係したのかも記憶がない。喧嘩別れしたのではなかったのは確か。翌年春、再結成こそしなかったが、北海道での撮影の日程の情報交換をしたメモが残っていた。どこかで合流できるか確認していたようだ。
ということで、ここで別れた。
記録がないが、たぶん以下の行程で、大夕張鉄道に向かう。
苫小牧802-845追分223レ 牽引はC57149だったらしい。
[223] C57149
次は、沼ノ端通過の際、停車中のD51らしい
[1291] D51413 沼ノ端812通過223
そしてどこかですれ違ったD51 276レか2354レか1294レのようだ。
[276, 2354, 1294?] D51285
C57149、追分で降りて見送る
[223] C57149
次のコマはD51
場所不明。これは追分の駅から撮ったのだろうか。
D51308追分?
追分854-949清水沢727D
清水沢に入った。
駅で撮ったらしい、大夕張鉄道のSL時刻表。
ブレているがなんとか判読できる。
最初に撮ったのは、NO2
9600と同型の同線専用機関車。
状況からすると402レで到着したあとの機回しではないか思う。
[402] NO2 -1008清水沢
続いて、国鉄ホームにD51がやったきたのを撮る。
煙突がギースルエジェクタであるのを初めて発見(初めて意識して興奮した記憶がある。
ギースルのD51は、実は、すでに栗丘に行ったときにいくつか出会っていて、このD51241も2回撮っていたのだが、そのときはギースルの存在すらわかっていなかったようだ。
[単7790] D51241 -1016清水沢
手前に花を入れてNO2を撮っている。
残念ながら、モノクロでよくわからない一枚。
D51の前にも花を入れて見ている。
D51241は単790としてやってきて、付け替えて、7790としての出発準備をしたらい。
そこに、NO4がやってきた。
大夕張を代表する機関車。現在保存機。
この時点で、どうやら、すでに天気が良くなかったようだ。
[104] NO4 -1026
次回、雨の清水沢、大夕張の続き