『文学』 | 三上寛オフィシャルブログ・寛隊

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 文学と文学的は違うかもしれないが、古いテレビ映画、刑事コロンボを観ていると、これは文学的というよりも、『文学』なのだなあと思ってしまう。    日本だと、西洋のものはなんでもかんでも翻訳を通すので、ついつい文学の範疇に割り当てるが、アメリカ人には、『アメリカ文学』というものがはっきりある。  久しぶりに刑事コロンボをみていると、ファースト・シーンに、『タイプを打つ!』場面があるが、これはアメリカ人のプライドのようなものだ。  映画という事に関して、アメリカ人には、絶対的な自信がある。   物書きというものは、『字』を書く時には、他の事を考えているものだ。アメリカ人は、タイプを打つ時には、他の事を考えいるが、日本人はキーを打つ時に、他の事を考える事ができない。日本人が他の事を考える事ができるのは『鉛筆』を持っている時。 誤字脱字の妙は国によって違う。そこが音楽の領域だと思っているので、グローバリズムに、簡単に賛成する事はできない。
ノーベル文学賞を受賞した日、川端康成が、私の作品を英訳した人がもらうべきだと言い、隣に座っていた三島由紀夫が慌てるという場面をユーチューブで見る事ができる。


管理人より → <<エドワード・G・サイデンステッカー>>

エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker, 1921年2月11日 - 2007年8月26日)は、日本文学作品の翻訳を通して、日本の文化を広く紹介したアメリカ人。より正確には「サイデンスティッカー」だが、親しみをこめて「サイデンさん」などと呼ばれる。
コロラド州の農家に生まれる。父方はドイツ系プロテスタント、母方はアイルランド系カトリックの出自。コロラド大学経済学部に進んだが、中途で英文学専攻に変更。海軍日本語学校で日本語を学んだ後、第二次世界大戦に出征し、海兵隊員として日本に進駐。帰米後、コロンビア大学で公法及び行政学の修士号を取得。1947年に国務省外交局へ入り、イェール大学とハーヴァード大学に出向して日本語の訓練を重ねる。当時まだ日本にアメリカ大使館が存在しなかったため、連合軍最高司令長官付外交部局の一員として滞日。その傍ら、東京大学に籍を置いて吉田精一のもとで日本文学を勉強した。その時の友人が直木賞作家の高橋治。日本語に熟達して評論活動を行ったが、1962年からスタンフォード大学に奉職、のちコロンビア大学教授として日本文学を講じ、アンソニー・チェンバースのような後進を育てた。また谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫ら日本の文学作品を英訳し、アーサー・ウェイリーに続く二度目の『源氏物語』の英語完訳も行った。多くの外国人日本研究家と違い、日本の良くないところも率直に言うため、変人扱いする人もいるが、きわめて誠実な人柄である。 「雪国」の英訳では、川端康成のノーベル文学賞受賞に大いに貢献した。 実際、川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言い、賞金も半分渡している。 また、日本文学の研究者であるドナルド・キーンとも親交が深く、東大在学中は彼を家に泊めさせており、コロンビア大学で、春学期はキーンが、秋学期はサイデンステッカーが教鞭を取っていたとされる。

1975年勲三等旭日中綬章受章。