大村雅朗氏の本が出た! | kan-ko

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(amass2017/4/8)

大村雅朗の軌跡 1951-1997(仮)

若くして他界した天才作編曲家、大村雅朗の軌跡を総括した書籍『大村雅朗の軌跡 1951-1997(仮) 』がDU BOOKSから6月発売予定。
●『大村雅朗の軌跡 1951-1997(仮) 』
梶田昌史 (著), 田渕浩久 (著)

※以下、インフォメーションより

若くして他界した天才作編曲家、大村雅朗の軌跡を総括!
大村さんとゆかりのある方々にも多数ご協力いただいてます!
詳細解禁まで今しばらくお待ちください! !

<大村雅朗>
1951年生まれ、福岡県出身。九州でブラスバンドの編曲を行っていたところをヤマハのスタッフの薦めで上京を決意、本格的に編曲家としての活動を開始する。78年、八神純子の「みずいろの雨」の編曲を手がけたことでその名が知られるようになり、その後は稀代のヒットメーカーに躍進。中でも作曲・編曲を手がけた松田聖子の「SWEET MEMORIES」は後世に残る名曲として名高い。しかし1997年、肺不全のため46歳の若さで死去。日本のポップス界が大村雅朗という天才アレンジャーを失った代償は計り知れない。

[代表曲]
八神純子「みずいろの雨」「パープルタウン」、石川ひとみ「くるみ割り人形」、山口百恵「謝肉祭」、石野真子「思いっきりサンバ」、松田聖子「青い珊瑚礁」「チェリーブロッサム」「夏の扉」「SWEET MEMORIES」、河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」「UNバランス」、渡辺徹「約束」、吉川晃司「モニカ」「サヨナラは八月のララバイ」、薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」、岡田有希子「リトルプリンセス」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、南野陽子「恥ずかしすぎて」、原田知世「早春物語」「どうしてますか」、中山美穂「JINGI・愛してもらいます」「クローズ・アップ」、渡辺美里「My Revolution」「BELIEVE」、小泉今日子「水のルージュ」 他

<著者について>

☆梶田昌史(かじた・まさし)
1971年生まれ、東京都出身。小学生の時に聴いたYMOをきっかけにスタジオ・ミュージシャンに興味を持ち、ドラマー島村英二との出会いによって、中学生の頃から多くのプレイヤー、アレンジャーと親交を深める。80年代から担当ディレクターなどに自ら電話をかけ、参加ミュージシャンのリサーチ活動やスタジオ訪問、プレイヤー視点での楽曲研究を行っている。

☆田渕浩久(たぶち・ひろひさ)
1976年生まれ、兵庫県出身。大学卒業後に上京、リットーミュージック/ギター・マガジン編集部を経てフリーに。2014年、ディスクユニオン入社。DU BOOKS編集担当。

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先日購入して、知っている方、自分に興味のある方の部分だけ読みましたが
非常に面白い!

大村雅朗氏のエピソード、ひじょーに面白いです!


私となると、美里中心に読んでしまいます。。
この手の本にありがちな、本の厚みの割に「字が大きい」、「余白が多くて字数が少ない」ので
もっともっとお話しを載せてよ!という部分が多くてもどかしいんですが・・^^;


インタビューした方に共通の意見
「(普段は)とても優しい方だった」というのと「(音楽的に)厳しい人だった」
というのが、なんだか正反対な印象に思えて、とても不思議ではあります

彼の口癖だったという
「違うんだよね~」(博多弁なまりだそう)
「このメロディどうにかなんないの?」
ってのが面白いです。

大村氏はアーティストに寄り添う編曲家でありながら、氏のイメージする音と違うと非常に頑固(?)
という、とても大変な方だった模様

音楽家って、頭で鳴ってる音楽を正確に表現する方たちなんだなぁって感じました。



あと、「彼の作る音には色がある」というのは、成程~と。私でも、なんとなくその意味がわかる

音楽を聞いて、情景が思い浮かぶ、思い出される
音と映像が結びつくって、不思議だなあと思うけど、ほんとそう

美里でいう
「Beleve」の朝一番の静けさ、もそうだし、「泣いちゃいそうだよ」のレゲエっぽい雰囲気もそうだし
「Long Nighi」の青春イントロなんて、ほんと天才って思う。

追記※編曲家から、なんかこんなかんじ、とイメージを伝えられて、実際に弾くのはスタジオミュージシャンの方だったりするそう。編曲家の要望に応えられる音を出せるか、とてもセンスのいる仕事…。いろいろアイデアを出しても、取捨選択の決定権は編曲家にあるかんじ。もちろん、編曲家自身が音を探りながら作る場合もあるし、編曲家の音のイメージを具現化するのはスタジオミュージシャン、ピアノだったりギターだったりそれぞれの分野の人々。だから、昔のスタジオにお金をかけられた時代の曲が秀逸なのは当然らしい。ちなみに、買い取り制なんだとか、時給いくらとか(へー)※

一般人の私は、作曲家の部分と編曲家の部分の違いや線引き部分って全く分からないから(そりゃそうだ)
作曲家凄い!ってなりがちなんだけど

その、凄い!って思ってた部分は、実は編曲家が作っていたり
作曲家の意向とは全然違う曲感になって世間に評価されたり

実は・・・なんてことは多いのかもしれない。

全てをネタ晴らししたところで、何になるかはわからないし
一般人にはどうでもいいことなのかもしれないけど
私はこういったマイナーな話って結構好きだなぁ


掲載されてる写真の多くは、煙草を吸ってる姿が殆どなので、ヘヴィなスモーカーだったと思われますが
限界まで自分を追いこんで曲を作り出すってとこもストイックで
長生きできなかったのはとても残念です。

何人かが同じことを言ってましたが、「今もご存命でしたら、何をされてるかと思いますか?」の質問に
宇多田ヒカルをプロデュースしてたんじゃないかな?
という部分には、私も納得。

ウタダはほんと、世の中の人からしたら珍しいくらい、私は人間性もアーティストとしても歌も全然好きではないけれど
大村雅朗氏が携わっていたら、少しは品の良い部分があって、今よりは少しマシだったかも


そういえば、彼女はepicに移籍してますが、今の時代、それがどういう意味になるのかよくわかりません。。

全部は読んでないけど、小室哲哉氏がけっこうひどいことを言ってました^^:
「彼が亡くなったと聞いて、どこか孤独な人だったので妙に納得した」そう
あんたひどすぎ^^;;;;;

そういえば、大村雅朗氏を語るうえでの重要人物「松田聖子」さんのインタビューは
たった1ページだけの~、具体的なエピソードも何もないふつーな印象のみの~
ほんとに本人にインタビューしたの~?的なものでした^^;

松本隆氏が言ってたように、大村氏が亡くなった後に彼の作曲とは内緒でレコーディングしてたら
聖子ちゃんが途中で気づいて泣き出した、というエピソードの人とは思えないぐらいあっさりしてました

最近いろいろあるみたいだから、ちゃんとインタビューできなかったのかもですねえ^^;


そんなわけで
美里以外の、彼の編曲した音楽を聞いて
彼らしい部分を探して、また、自分の好きな音に出会えたらいいなと思います。

※彼が亡くなって今年で20年だそうで、そういった意味で出版にこぎつけたようです。




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少しは気が付いていましたが、この本の趣旨「誰も傷つけない」ということもあるのであまり大きく言いたくはありませんが

大村大先生でも、・・・あれ?これって他でも聞いたことあるよーな
てゆーかこれって・・・・

なことも多々あるようです

さすがにあれだけの編曲数をみれば、ネタ切れってあるある
先生だってレコ社の意向でやってたかもしれないし
あれだけの編曲数をこなすためには、仕方のないこと(?)なのかもしれない

かの有名な、さのる を聞いた時には、ああ、・・(笑)
ってかんじでした。
ネットの無い時代で良かったですね。
そして、知らなくて「いい曲~」と感動する私達って、平和・・

そうじゃない部分で
先生がキーボードで音を探しながら作り上げた編曲の数々が、好きです
美里の「泣いちゃいそうだよ」の上品でオシャレで夏の暑さを忘れさせてくれる曲感なんてサイコーですよ

...................
大江千里さんの最大のヒット曲、格好悪いふられ方
このピアノのイントロなんて、まさに大村好み!て気がしました。美里のBelieveに通じる美しさがある気がします。
千里さんが作ったのかもしれませんし、ピアノ担当のスタジオミュージシャンがアイデアを出してのかもしれませんし、細かいことは当人たちのみぞ知るてかんじですが(音楽はみんなそう)

でも、プロデューサー力の強い大村節がそこかしこに感じられますよね。ドラマの主題歌ゆうことで、ヒットさせる気合みたいなのも感じますし。
まあでも、一番のヒットの要因て「格好悪い僕」をここまでさらけ出したから、じゃないでしょうか。どこまで真実かは分かりませんが、やはりさらけ出したからこその説得力と響くものがありますよね。
大江千里は槇原敬之や星野源の先駆けであったという記事を読みましたが、なるほどなと思いました。まあ後付ですけど

ちなみに最近気がついたが、大塚博堂の「あしたのジョーは帰らない」
アレンジは大村雅朗、作詞はるい、こと小坂さんなんですね
今更今頃、お二人の接点を知りました…(小坂さんは大塚博堂のマネージャー)