廃線その1:ロマン感じるんでしたよね?編。 | 白樺嵐山のブログ

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旅・散歩で気になることをなんとなく「学び」に繋げていくためのブログです。

廃線散歩はエモエモ体感ができるということについて、お話しします。

 

マイントピア別子(愛媛県新居浜市)

 

私、廃線跡を訪れるのが好きなんですよね・・・。

ブログ上で何度か述べた通り、私の旅行の好みの傾向として、自然の生き物・無機物たちと人間の文明がいい塩梅で鬩ぎあっている風景を愛する異常性愛者だということを自覚しています。

それを体感する方法は、前回紹介した橋などいくらかあるのですが、特に歴史の悲哀さを実感するという意味でエモい最良のものは、廃線巡り。

 

姫路市営モノレール遺構(兵庫県姫路市)

 

たとえば、上のマイントピア別子の例。

銅山開発およびその労働者のために使われていた鉱山鉄道の一部を観光施設として復活させ、現在では道の駅且つテーマパークとして再整備されています。

いよかんソフトでいい予感だった(小並感)

 

姫路市営モノレールはというと、昭和41年(1966年)に開業したものの誰にも使われずに僅か13年で廃線に至ったという、伝説の鉄道路線です(モノレールを鉄道に含めるかどうかは流派に依る)。

恒久施設として建設してしまったせいで支柱の撤去が困難となり、50万都市姫路のド真ん中に現代であっても異様な存在感を放ちながら佇んでいます。

やはりヤバい(確信)

 

旧国鉄佐賀線跡を整備した徐福サイクルロード(佐賀県佐賀市)

 

◇廃線に哀しき過去———

 

エモい。その過去と交通史とが自然にフラッシュバックされてきます。妄想がはかどるね!

そんな廃線探訪の想い出から、今回は選りすぐりのふたつをご紹介!

エモい、エモくいくぜぇ~

 

えぇぇぇぇえええぇえもおおおおおぉぉぉぉおしょぉおおおぉおおんんんんんん(三船栞子)

 

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*Youtubeショートにて今回紹介の耶馬渓について投稿しています!ぜひ併せてご覧ください。

 

 

 

おはようございます。

こちらは大分県中津市にある天下の名勝・耶馬渓です。

奇岩奇勝の織り成す美しいこの地にて散策するのは、旧大分交通耶馬渓線の廃線跡。

 

 

戦前期(昭和17年頃)の地図を確認すると、確かにこの付近に駅が!

よくよく見ると路線がふたつありますが、「いけばや」駅で路線が途切れているのは、福岡県豊前市の国鉄宇島駅から延びてきた宇島鉄道。

件の大分交通耶馬渓線は、山国川対岸の「だひ」駅のあるほう、こちらは中津駅が起点であり、さらに耶馬渓の奥地にある守美温泉まで続いています。

 

きょうのルートはその一部、ほぼほぼ柿坂駅~野路駅間をサイクリングします。

さっきの旧佐賀線と同じ、廃線転用タイプのサイクリングロードだッ!!!

スタートはレンタルの都合上柿坂駅側から。

耶馬渓線の廃止は昭和50年(1975年)、7年後には本日お世話になるメイプル耶馬サイクリングロードとして再整備されました

自転車道としてもなかなか歴史がありますね!

 

 

自転車を借りた私、目的地に向かわずいきなり反転して守美温泉側へ。

だっていい隧道の香りがしたから・・・。

そして遭遇したのは、禁断の隧道二連打ち!

もはや不自然とも供述出来るこの馬蹄形のフォルムは、紛れもなく鉄道用のそれです。

 

 

気を取り直してサイクリング開始。

路線は山国川に沿いながら中津市街方面へと続きます。

地理院地図では黄色なので、珍しく車の通れない系の県道ですね。

 

こちら第二山国川鉄橋、実に鉄道桁橋らしい風体とカーブが残っています。

その橋を渡るとまたもや小高い山、そこに開けているのは馬蹄形の美しい坑門。

煉瓦、石材、補強のコンクリートが緑色の山の中に全て美しく調和しており、得も言われぬ満足感を覚えるトンネルです。

 

馬渓橋

凝灰角礫岩の岩壁

 

山国川沿いにさらに進んで行きましょう。

はじめに観た耶馬渓橋と意匠を類する雅な石造アーチが連発されるというのも、耶馬溪の恐ろしいところですね…。

同じ大分県にある宇佐市院内は「日本一の石橋のまち」を自称しているとのパンフレットを駅で貰ったので、そちらも気になるなァと思いつつ、噛み締めて橋を渡り渡らなかったり。

それにしても山の迫力がなかなかに凄い。

ところどころに見えるロックシェッド、そして廃線沿いの隧道からは、人びとと自然との鬩ぎ合いを感じさせるものです。

 

岩洞山久福寺

 

 

死ぬほどいい景色ですね…。

概ねサイクリングロードはわかり易く整備されており、まっすぐ進んでいけばいいもののつい足を止めてしまう。

本当に美しい、日本の田園風景がここにあるような気がします。

都会に帰りたくないよぉおおおおぉおぉぉぉぉぉぉお

 

 

耶馬渓一の名所といえば、やはりこちらの青の洞門。

凝灰岩や凝灰角礫岩からなる耶馬渓の岩肌を

江戸時代の和尚が人足を集めつつ掘り進めて行ったそうな。

わが国内にある現役隧道でも最古級のものですね!うれしい!!!

 

 

耶馬渓橋付近に戻ってきました。あまりにも美しすぎる石像八連アーチ橋。

今日の宿は別府なので、サイクリングはそろそろ終いにしてバスで中津駅に帰ります。

バスの運行会社は「あの」大分交通。

ウーム、モータリゼーションの栄枯盛衰だなァ・・・。

 

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再びおはようございます。

栃木県那須郡那須町、東北本線豊原駅になんとなく降り立ってみました。

この次の駅から福島県内に入るので、ここからテキトーに県境越えをしたい、しましょう。

 

前日に思いつき、とりあえず地理院地図を持ってきただけで事前知識なしの無計画。

まァ、なんとかなるでしょう。

豊原駅は集落から少し離れたやや高台に位置し、東北本線は高さを保ちながら西側へ、歩道及び車道は東側の緩やかな谷の間を通ります。

 

 

駅から坂を下ってすぐのところにいい隧道を発見。

東北本線直下なので、隧道ではなく架道橋が正しいでしょうか。

武骨な高さ制限標識、隧道上部を貫通する水道管(?)、石材ブロックと赤煉瓦の色合いのバランス感覚。

幸先の良いことですね!

 

 

さらにさらに!

すぐ先に線路直下を通る巨大な水路兼架道橋兼歩行者隧道がありましたので、進入。

東北本線を高架させる大きめの土被りが否応にも視界に入り、そのための用途だということが直感的に理解できます!

外見は一見してコンクリートトンネルの観でしたが、実際に内部に進入してみると途中から長手積み煉瓦+石材ブロックの隧道が出現。

おそらくこちらが元来の東北本線直下に建設されたものであり、コンクリート部分は後年追加で施工されたものでしょう。

穴もロマンもでけぇなお前(褒めて伸ばす)

 

 

反対側坑口、内部でも確認しましたが煉瓦とコンクリートの継ぎ接ぎ隧道ということで、こちらも一般的なコンクリートトンネルの見た目。

道(?)は川沿いにさらに続いており、地図を見る限りは上流にある矢ノ目ダムへと通じている様子ですが…

さすがに先へは行けません。用事があるのでね!

 

 

いい隧道だった。

ありがとう板敷川!ありがとう東北本線!ありがとう行政!

事前情報無しの思いつき散歩の魅力といえばこれですよ。

未知の出会いに関して、いま持っているだけの知識を全力で捏ね繰り回し、その歴史に思いを馳せ、考察し、自分なりの結論を出すこと。

しかしその一方で、付近にも類似の隧道があることをGoogleマップで確認(泣)

こういう漏れが生じてしまうことは明らかなデメリットですね…。

 

再 走 し ろ

 

 

そんないい隧道たちに見送られ、穏やかな田園地帯の集落を歩きます。

黒川沿いに広がる水原集落ですね。

で、ですよ。

なんかこの道・・・怪しくないですか???

表現するのは難しいのですが、線形やその幅、周囲の建造物と併せて、なんとなく廃線感がある…?

 

 

いつも通り今昔マップを確認。

1894~1915年の地図によると、確かに黒川東側の平地部分に駅と線路がありますねぇ!

すなわち、いま歩いている道が間違いなくかつての東北本線の線路上!

現場で自覚できた自分に褒めてあげたい。えらい。

本当はここに汽車が走ってたんじゃないの?正体見たり!って感じだな

 

 

一方で1928~1945年を閲覧してみると、この時期にはすでに現在の駅の位置・ルートに代わっていますね。

具体的な情報が気になったので、こちらの『広報那須を参照しましたところ、黒磯駅-白河駅間において大胆な線形改良が実施され、現在のルートになったのは大正9年(1920年)だそうです。

裏付けが取れましたね!感動~!

 

 

その記憶を物語る碑もありました。

やはり駅もこの辺りだったようですね。素敵だね。

今回は住民の方に遭遇せず聞き取り調査はできなかったのですが、確かにこの土地に旧線の歴史が根付いているんだなと心で理解し、なんか感動的。

 

 

別の角度からも、旧線の存在は証明されていました。

黒川の谷間を橋梁で渡ったのち、県境の峠の付近で、東北本線は上り線と下り線で別の線路を走ることとなります。

写真は上下線それぞれの踏切で、至近距離に同じ路線の踏切をふたつ渡らなければならないという違和感スポット。

これはおかしい。

土地が無いという理由でもないだろうに、ナンデ??

 

 

これも古地図を確認すれば分かるように、ルート変更前後の旧線と新線が現代でも併存しているということ、を意味していますよねぇ!

すなわち、上り線は新線敷設前の経路をそのまま使用している一方、下り線は新しく敷設されたルート。

私見ですが、旧線のややきついカーブや峠の急勾配などの地形的な事情、そして貨物も含めて交通量の多い幹線であることと最重要である安全面での事情を綜合的に評価して、福島県側にも併せて路線を敷設する一方で旧線の利用も続けているものだと思われます。

 

なんだこれは・・・たまげたなぁ

 

黒川橋梁 こちらも新旧ふたつ

 

そろそろ帰るか・・・♤

この後は峠を下り、福島県へ本格的に入り、いい田舎の景色を堪能しつつ郡山市へ向かいました。

用事があったのでね!

 

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旧国鉄手宮線跡の遊歩道(北海道小樽市)

 

旧国鉄手宮線 機関車庫三号(北海道小樽市)

現存するわが国最古の機関車庫 いいフランス積み

 

以上、廃線を軸にして自然と文明のロマンを五感で味わう散歩に行ってみました。

耶馬渓のようなしっかりとした観光廃線もいいし、那須のような隠れ廃線もいい。

廃線には廃線になるだけの理由があるし、実際に現地を訪問すると、人口やら交通需要やらそうした事情が直接のもとに体感できて、なんとなく察せられるのが面白い。

そして、なかなかにニッチな趣味であるからこそ、誰もやっていない楽しみ方をしているという知識欲を満たすことができて、気持ちがいい。

もう一度やりたいぜ。

 

旧信越本線碓氷第三橋梁(群馬県安中市)

 

旧信越本線熊ノ平駅(群馬県安中市)

 

次はどこを散歩するか、迷うねェ~~~♡

こんなエモエモな気分の時に、無計画で無為に廃線歩きをする・・・じゃ 

煉瓦やいい隧道には気持ち良く出会えなくて±0じゃない?

それなら廃線と煉瓦を同時に味わう場所を探して訪れる・・・が 

ベストなんじゃない・・・?

 

 

ということで次回は「廃線煉瓦編」です。乞うご期待。