産経新聞 10月30日(水)11時26分配信
外務省は30日、外交文書92冊を一般公開した。昭和32年に岸信介首相(当時)が、米占領下にあった沖縄の返還までの期限を「10年」と設定し、米国のアイゼンハワー大統領との首脳会談に臨んでいたことが分かった。東西冷戦の緊迫化により沖縄返還の見通しすら示さない米国に対し、岸氏が早くから執念を燃やしていたことを示していた。
公開された文書は、32年4月に外務省職員が作成したとみられる「領土問題(対米申し入れメモ)」。岸氏が日米首脳会談のため訪米する2カ月前に作られたもので、岸氏が会談で訴える内容が記されている。
当時の米国は、沖縄に日本の「潜在的主権」を認めつつ、米ソ冷戦の激化を受け、沖縄返還をかたくなに拒否していた。25年にソ連と中国が友好条約を結び、友好的な関係を保っていたこともあり、沖縄は軍事上、対共産圏の防波堤としての役割を担ったのだ。
文書では、岸氏が沖縄の防衛上の重要性を認めつつ「なぜ(琉球諸島に)限って行政、立法および司法の三権を行使することが軍事上必要なのか、日本国民は理解しえない」として施政権を早期に返すよう要求。「沖縄内部の情勢は、現在の状態のまま推移すれば、時とともに悪化していく」とも述べ、現地での対米感情の悪化を懸念している。
その上で「一案を提案したい」と切り出し、米国が沖縄や奄美諸島、小笠原諸島に米国の施政権を認めたサンフランシスコ平和条約3条を10年後に放棄し、軍事的必要の比較的薄い他の諸島はできる限り速やかに日本国へ完全返還することなどを求めている。
ただし文書では、返還期間を「7年」と書いていたものを「10年」と書き直した形跡も残っており、強硬な米国の姿勢に苦慮していたこともうかがえる。
岸氏は32年6月、米ワシントンで開かれた日米首脳会談で「日本に恒久的友好関係を確立する大局的見地から、一定の時期には必ず施政権を日本に返還することを明らかにされたい」と要求。しかしアイゼンハワー氏は「日本は各諸島に潜在的主権を有するが、脅威と緊張の状態が極東に存在する限り、合衆国は現在の状態を維持する」と一蹴、会談は物別れに終わった。
岸氏は当時、日米安全保障条約の全面改定に取り組んでおり、国内の反米勢力を沈静化するためにも、沖縄返還に熱心に取り組んだ。沖縄返還が実現したのは、中ソ対立が深刻化し、米国のニクソン大統領が中国を訪問した昭和47年。
公開された外交文書は、沖縄返還に関する日米協議の記録が中心。このほか、朝鮮戦争の国連軍構成国と昭和29年に結んだ地位協定の交渉過程や、核燃料再処理をめぐる日米当局間のやりとりも含まれている。

