先日、自分がやっているボランティアサークルに、私にとっては目新しいメッセージが届きました。

 

「わたしは子どもがいなくて、なにか人の役に立つことがしたい。こちらの事を聞いたとき、これだ!!と思いました」

 

という内容のものでした。

 

わたし一瞬「??」となりまして、

 

「なんで子どもがいないことと、ボランティアが関係あるのかなー」

とか

「人の役に立ちたいっていう入り口から、このサークルに来る人、私も含めてそういえばいなかったな~」

とか、思ったわけです。

 

でも、思えばしばらく、この記事のようにいろんな世界や、いろんな立場や心情と融合したいと思ってまして。

今までなら触れなかった本やネット情報、機会を意識していたので、「子どもがいない人の持つ心情」とかも考えることがありました。

 

私自身はこどもが2人いて、「独身うらやましーーーー!!!」と思う事がけっこうあったので汗うさぎ

やっぱり子どもがいれば、日常的に無理をすることも、犠牲が生まれることも避けられず…。ただそれは一過性のものなので、もちろん子ども来てくれて良かったとは思いますが。

 

だから正直、子どもがいないならそれはそれで、自由を謳歌する権利を行使していただければいいのでは。くらいに思っていたんですが、しかし。

自分がこの歳(45)で子どもがいなかったら、そう割り切れてる自信はないですねガーン

 

子どもがほしい、とか、子どもがいなくていいのかな、という悩みって、「収入がもう少しあれば」というのとはわけが違いますよね。

もっと根源的な欲求だと思うので…。

自分が生きたい欲求に次ぐ、「社会の種を残したい」DNAの欲求ですから…。

 

それはまあ、冒頭の「子どもがいないので、せめて人や社会の役に立ちたい」という話に確かになるやも。

 

性欲を頭で抑えるのが難しいように、子宮から来る欲求をコントロールするのも、それはそれで大変そうです。

(産んだらハッピーなのか、とはまた全く別ですけど…)

エネルギーが湧いてくるときって、建設的に使えないと、悩んだり怒ったりしてネガティブで放出するしかないんですよね。(必ず出口が必要なイメージです。ちなみにそういうときは運動で消化するのがおススメです。うちのサークルは農作業なので、理にかなってたりします。)

 

あと、これ完全に余談ですが、上空から「生まれたい魂」が自分をマークしてパッタパタ飛んでると、なんか焦りますね…。無意識レベルから。

 

これ自分が1回あったんですよね。3人目・・・?みたいな。

3人目が生まれる人生を気がついたらシミレーションしていたりハイハイ

 

しかし!そのうち、諦めていなくなってしまいました・・・

(寂しさもなくはなかったですが、安堵しました・・・)

 

〆の言葉もなく、雑感として終わります。