去年の秋の大神(おおみわ)神社参拝で
ご一緒したお仲間と宇佐神宮を訪れた。
宇佐神宮の創建に関わった大神神社の大神
(おおがみ)一族がこの地を訪れた理由は謎である。
571年に大神比義命(オオガヒギノミコト)が
ここ小椋山菱潟池の畔で鍛冶をする翁に仕え、
「護国霊威身神大自在王菩薩」の現前を受け、
それは「八幡神」(ハチマンシン)となり、
神仏習合へと変化する。
後に、比売大神(ヒメオオカミ)を祀り、
応神天皇やその母の神功皇后をも祀るに至った。
そもそも「八幡」(はちまん、やはた)とは
インド仏教の儀式における八つの旗の事らしく、
この一帯に根ざした宇佐氏(新羅系渡来人)と
辛嶋氏(韓系渡来人)が鉄の精錬技術に加え、
渡海の守り神だった「比売大神」信仰と一緒に
国内に持ち込んだ可能性がある。
大神一族が勅命で遥々この地を訪れたのには
渡来人の持つ新しい鉄の精錬技術の取得や
彼らの祀る神のお告げを訊く「託宣」という
任務があったからではないだろうか。
そして弥勒寺を引き入れて神仏習合が進み、
国東半島一帯に天台宗を広めることになる。
昼食の後、かつて宇佐神宮の阿弥陀堂だった
「富貴寺」を訪れた。
神仏習合による八幡神の本来の姿と考えられた
阿弥陀如来を祀っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/09/kamui-am/c1/d6/j/o1080081015442251543.jpg?caw=800)
そして、八幡奈多宮(はちまんなだぐう)を訪れる。
奈多海岸の沖合いには本宮である
「市杵島」(いちきしま)が浮かぶ。
「比売大神」の「イチキシマヒメノミコト」
(いわゆる弁財天)を祀っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/09/kamui-am/30/bb/j/o1080081015442251558.jpg?caw=800)
宇佐神宮で役目を終えた品々はこちらで引受け、
最後はこの海岸から海に流される。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/09/kamui-am/b4/e0/j/o1080081015442251562.jpg?caw=800)
実はこの海岸は良質な砂鉄が採れるらしい。
どうやら宇佐神宮と奈多宮の関係性は宗教的な
上下関係だけでなく、鉄の精錬と深く関わって
いたのかもしれない。
最後に日出の大神(おおが)ファームを訪れた。
ここ大神地区には大神比義命の邸宅跡がある。
奈良から遥々九州の地にやって来た大神一族は
先ずはこの地に生活の拠点を構えたようである。
園内は薔薇がちょうど見頃。
多くの観光客で賑わっている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/09/kamui-am/6c/c4/j/o1080081015442252755.jpg?caw=800)
麦わら帽子とオーバーオールがお似合いな
スタッフさんに薔薇の説明をしていただいた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240523/09/kamui-am/52/f0/j/o1080081015442252758.jpg?caw=800)
唯一無二の癒しと穏やかな空間は
大神一族の聖地だからなのかもしれない。
素晴らしい香りに包まれて、大神一族を辿る
旅の終わりを実感したカムイである。