去年の秋の大神(おおみわ)神社参拝で

ご一緒したお仲間と宇佐神宮を訪れた。



宇佐神宮の創建に関わった大神神社の大神

(おおがみ)一族がこの地を訪れた理由は謎である。





571年に大神比義命(オオガヒギノミコト)が

ここ小椋山菱潟池の畔で鍛冶をする翁に仕え、

「護国霊威身神大自在王菩薩」の現前を受け、

それは「八幡神」(ハチマンシン)となり、

神仏習合へと変化する。



後に、比売大神(ヒメオオカミ)を祀り、

応神天皇やその母の神功皇后をも祀るに至った。



そもそも「八幡」(はちまん、やはた)とは

インド仏教の儀式における八つの旗の事らしく、

この一帯に根ざした宇佐氏(新羅系渡来人)と

辛嶋氏(韓系渡来人)が鉄の精錬技術に加え、

渡海の守り神だった「比売大神」信仰と一緒に

国内に持ち込んだ可能性がある。



大神一族が勅命で遥々この地を訪れたのには

渡来人の持つ新しい鉄の精錬技術の取得や

彼らの祀る神のお告げを訊く「託宣」という

任務があったからではないだろうか。

そして弥勒寺を引き入れて神仏習合が進み、

国東半島一帯に天台宗を広めることになる。



昼食の後、かつて宇佐神宮の阿弥陀堂だった

「富貴寺」を訪れた。



神仏習合による八幡神の本来の姿と考えられた

阿弥陀如来を祀っている。



そして、八幡奈多宮(はちまんなだぐう)を訪れる。



明治政府の神仏分離令によって、宇佐神宮で

祀られていた3体の神像は社外に出され、

今はここに安置されている。



奈多海岸の沖合いには本宮である

「市杵島」(いちきしま)が浮かぶ。

「比売大神」の「イチキシマヒメノミコト」

(いわゆる弁財天)を祀っている。



宇佐神宮で役目を終えた品々はこちらで引受け、

最後はこの海岸から海に流される。



実はこの海岸は良質な砂鉄が採れるらしい。

どうやら宇佐神宮と奈多宮の関係性は宗教的な

上下関係だけでなく、鉄の精錬と深く関わって

いたのかもしれない。



やがて大神一族は「道鏡事件」等により、

宇佐神宮の神官職を宇佐一族に取って代わられ、

豊後の南へと天台宗の布教と共に移住してゆく。



最後に日出の大神(おおが)ファームを訪れた。



ここ大神地区には大神比義命の邸宅跡がある。

奈良から遥々九州の地にやって来た大神一族は

先ずはこの地に生活の拠点を構えたようである。



園内は薔薇がちょうど見頃。



多くの観光客で賑わっている。



麦わら帽子とオーバーオールがお似合いな

スタッフさんに薔薇の説明をしていただいた。



唯一無二の癒しと穏やかな空間は

大神一族の聖地だからなのかもしれない。



素晴らしい香りに包まれて、大神一族を辿る

旅の終わりを実感したカムイである。