14日は東京から郡山に帰る道すがら、常磐自動車道経由で茨城県稲敷郡阿見町にある
予科練平和資料館に寄り道してきました。
ここも前々から行きたいミュージアムの一つだったのですが・・・
映画「ハワイ・マレー沖海戦」での土浦航空隊における予科練のを見て、
改めて行ってみる決心をしたからです。
常磐道土浦桜ICで下車すると霞ヶ浦へ
予科練平和資料館に到着。
立方体(キューブ)を組み合わせたモダーンな外観に驚きました。
ゼロ戦のレプリカもあり
館内は撮影禁止でしたが・・・狭い空間で充実した内容で驚きました
予科練の(短い)歴史も非常に煩雑で予め「予習」が必要だとも感じましたが。
写真家である土門拳先生が戦時中に予科練を訪れて写真撮影してるんですね。
その意図は兎も角として今日ではこの写真群の資料性の高さに驚いた次第です。
隣の陸上自衛隊武器学校内にある雄翔館(予科練記念館)にも勿論行きました。
(言うまでもないですが現在の自衛隊施設が土浦海軍航空隊の跡地です。)
庭園にある予科練之碑(予科練二人像)
雄翔館は戦死された予科練出身者の遺品を中心に展示されていました。
内容はう~ん・・・
絶望的な戦況において99%戦死を覚悟するような作戦はまだしも(まだしもではないけど)
作戦の成功が自らの死を意味する自爆攻撃は作戦的には外道だなぁってこと。
これはグスコーブドリの判断の是非でもあるしね・・・難しいです。
予科練平和記念館の周囲は蓮に覆われていました。
湿地帯なんですな。
蓮の実。
一つ目の芋虫さんがこんにちはと顔を出しているような感じで可愛いなぁ
蓮根の産地なんですね。
霞ヶ浦は・・・広いなぁ
淡水ですよね
猪苗代湖よりも広いのかな。
そっか・・・二所ノ関部屋って阿見町にあるのか
今の二所ノ関親方って稀勢の里関ですよね
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次は牛久市にある牛久大仏へ
デカい阿弥陀如来様の立像がある場所で行ってみたかったんですが。。。
何と大仏胎内拝観待ち時間40分
GIVE UP
何でも仏像に登らなくても庭園巡るだけでも一見の価値ありとのことですが・・・
人が多い観光地だったので今回は入らずにそのまま帰りました
身長120mの仏様・・・合掌(-人-)
デカい構造物は維持管理が大変ですからねぇ
淡路島に廃墟となった巨大石像があってその保全が問題視されているようですが・・・
解体するにも大金掛かりますからね。
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んで、土浦市街に出ると土浦城散策
こぢんまりとした平城のようですね。
オレ・・・てっきり水戸藩が常陸国一国を領地とする国持大名かと思ってましたけど、
土浦藩があったとは存じませんでした
領主の土屋氏も・・・すいません、存じませんでした
そもそも甲斐国地頭→武田家臣団→井伊赤備え→近世大名化ですか。
市立博物館と城内の一部は改修工事のために休業中
残念
なかなか良い雰囲気ですが石垣はなかったのかな
太鼓櫓門。
関東で唯一残る櫓門だそうで。
あれぇ最近、新発田城で櫓門を見たような・・・ですが、新発田は関東地方ではないからな
本丸。
櫓はあったけど天守閣はなかったようです。
ちょっとだけ市街散策。
土浦聖バルナバ教会。
昭和戦前期の建造物らしい。
隣の本妙寺さん
今こそ折伏の時・・・ですか
ふむふむ、日蓮宗系の寺院のようですな。
保立食堂さん。
何と明治時代の木造建築だそう。
「予科練指定食堂」だったとのこと。
保立食堂の裏側にあった石上霞月堂さん。
正面から見て左右非対称のダダイズム的建築物ですね。
昔はさぞかしお洒落だったんでしょう
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更に友部ICでも寄り道。
筑波海軍航空隊記念館に行くためです。
筑波海軍航空隊司令部跡
1938年(昭和十三年)竣工の鉄筋コンクリート構造物。
中は昔の学校のようです。
司令室とか・・・良く復元されています。
映画「永遠の0」のロケでも使われたそう。
これは病院という設定のようですが、このまま保存されていました。
野外にあった号令台。
小学校なんかでも校庭に簡易な台がありましたなぁ
司令部跡から少し離れた地下戦闘指揮所にも行きました。
司令部が空襲等で使用不能になった場合の地下壕です。
本来なら後方に見える針葉樹林帯の中で空中から目立たないように工夫されていたとのこと。
今回の公開に辺り樹木を伐採したそう
中は・・・外は茹だる暑さなのに涼しくてビックリ
冷房いらず
ちょっと地面を横穴に掘っただけなのにこれだけ野外と気温が違うって驚いてしまいました。
天井から水滴がポタポタ
湿気高し
実際にここで暮らすとなると大変そう。
この道路が実際に滑走路のあった場所。
平たいです
筑波に飛行場があったとは知らなんだ