CS放送日本映画チャンネルで映画「ハワイ・マレー沖海戦」を見る・・・の巻 | 乾パンのブログ

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まぁ今日がこん前の太平洋戦争の終戦の日(ポツダム宣言受諾を宣言した日)ですが・・・

先日、CS放送日本映画チャンネルで「ハワイ・マレー沖海戦」やってたんで録画して拝観映画

 

 

1942年(昭和十七年)9月公開の戦争映画であります。

当時、多くの戦意高揚・国策映画が作られたのですが、この多くが現在では忘れ去れた存在。

 

フィルム自体が破棄され今では見ることが出来ない映画も多いのですが、

その中でも「ハワイ・マレー沖会戦」はその最高傑作として現在でも見ることが可能。

円谷英二さんの特撮技術の見事さも有名で、昭和17年キネマ旬報邦画1位作品。

 

題名通り、1941年12月の太平洋戦争緒戦の真珠湾攻撃・マレー沖海戦を描いた内容。

その1周年記念と銘打っての公開だったようです。

 

とある予科練(予科飛行練習生)出身の少年兵の海軍軍人としての成長を通して

真珠湾攻撃を描くってのは・・・日本映画らしい情緒感を感じさせますな。

 

 

主人公は友田義一少年。

父親は死んでしまったらしく、母親と姉妹の3人兄弟。

貧農ってヤツで中学には行けなくて高等小学校出身と思われます。

 

話の発端は昭和十一年夏。

同郷の「兄さん」と慕う立花(海軍兵学校生徒)が夏季休暇で帰郷するところから始まります。

海軍兵学校も夏服は短ラン七つボタンですな。

 

海軍に憧れる友田クンは予科練に志願したいと立花に相談します。

当時はまだ「平時」だし予科練に合格するのは狭き門ビックリマーク

しっかし見事合格ですかラブラブ

 

 

実際に当時土浦海軍航空隊にあった予科練でロケしたようです。

見渡す限りの予科練生徒が映ってますが・・・コレは戦時下だからこそ。

 

友田クンは昭和十二年6月入校ですから予科練(乙種)第8期生となります。

当時の入学者は200人程度ですからエリートだった訳です。

 

 

分隊長山下大尉は藤田進さんビックリマーク

黒澤明監督の処女作「姿三四郎」の三四郎役や

ウルトラマン・ウルトラセブンの長官役で有名ですねひらめき電球

 

徹底的に精神力重視の教育が繰り替えされます。

頑張り精神、全体のためには個人の犠牲も厭わない滅私奉公の精神であります。

まぁ物量では米国に太刀打ちできないのは当時の人々にも分っていただろうし

こうするしかなかったんだろうけど・・・

 

 

予科練での訓練風景が丹念に描かれています・・・

教官の下士官は厳しいけど優しい頼もしい兄貴分として描かれています。

 

実際は・・・

陸軍は(建て前では)私的制裁禁止を明言してますが、

海軍では暴力的制裁は精強な兵を育成する有効な手段と認識していたようで

それはそれは凄惨なしごきが行われていたようです。

 

このような戦意高揚映画を見て予科練に憧れて志願する少年も多かったようですが

入学して過酷な現実にビックリだったそう。

 

戦後に撮られた「あゝ予科練」なんかで描かれた千葉真一・室田日出男さんの

血も涙もない鬼教官振りはこういう映画のアンチテーゼだったんだろうな。

 

 

黒沢映画の定番キャストの1人であった木村功さんのデビュー映画だったとのこと。

中川訓練生役ですね。

長身で優男でよく目立っています。

 

 

予科練でも(海軍兵学校と同じく)ラグビーが盛んだったようです。

まぁ日本海軍が英国海軍をお手本に創立した名残ですか。

 

19世紀の英国では・・・同じフットボールでもサッカーは労働者階級のスポーツ、

ラグビーはジェントルマンのスポーツ、という認識があったらしいべーっだ!

 

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昭和十二年6月に入校した予科練8期生は2年半の訓練の後に昭和十四年11月に卒業。

当時は既に欧州では第2次大戦が始まっている状況ですねガーン

 

 

こっから初めて飛行訓練が始まります。

右最前列の木村功さんは長身で目立ちますな恋の矢

 

 

九三式中間練習機を使っての実習ですかグッド!

通称赤とんぼですなハチ

 

当時の実習訓練は1年間かけてみっちり実施されたそう。

練習機教程の後に実用機を用いた実用機教程が行われたハズですが・・・そこは割愛汗

 

 

恐らく・・・友田クンは昭和十五年秋に実習訓練が終了して

艦隊勤務(第一線配備)に就いたとの設定のようです。

 

上矢印は実際の空母ではなくて海辺にセットを組んだそうですがソレっぽい出来。

まぁこの映画が公開された時点で、空母「加賀」「赤城」「蒼龍」「飛龍」は全て海の底あせる

 

 

五つボタン白い麻の詰襟学生服は海軍下士官の夏用軍服。

友田クンは海軍飛行兵曹になったようです。

右袖の山型袖章は善行章。

 

3年間無事故で勤務したら1本貰える袖章(ホントの「善行」には特別善行章ってのがある)

善行章が付いて初めて一人前の海軍軍人・・・という認識だったようです。

未成年の友田クンがもう善行章着けてるのは少年兵出身ならではですな。

 

 

友田クンももし予科練に入らなければ農村で貧しい暮らしをしていて

腕時計など着けられる身分ではなかったハズ・・・

 

満足な教育を受けることが出来ない貧農層の若者にとって

戦前期の予科練に入るのは立身出世の道の一つだったわけでね。

 

 

友田クンの姉役が原節子さん。

昭和の名女優のお一人。

お顔立ちが垢抜けし過ぎで農村で貧しい暮らしをする娘さんには見えないなショック!

 

戦後映画だったらきっと海軍士官となった立花と恋バナ設定もあったと思いますが・・・

戦時中の映画なので恋愛沙汰は皆無であくまで「銃後を守る女性」的存在に終始。

 

 

真珠湾攻撃前夜の状況。

沈鬱な表情の友田兵曹。

白い飲み物は・・・恐らく加給食のカルピスかなはてなマーク

 

飛行兵は過酷で危険な勤務である反面、待遇は非常に良かった。

そこも貧しい若者にとっては魅力的だったようです。

 

 

決戦前日、艦長以下士官・兵曹・兵が輪になって

足踏みしながら軍歌「決死隊」を合唱する場面。

こういう習慣があったんだな。

 

 

艦内に神社があって乗組員が拝礼するってのも日本ならでは。

映画「太平洋の嵐」や「トラ・トラ・トラ」にも同様のシーンあり。

現在でも自衛隊艦艇には艦内神社があるはず。

 

艦内の通路はすれ違うのがやっとの激狭だったハズですが、

これはセットであり撮影上の考慮で広く表現してると察します。

 

 

実際に艦を操舵するのは善行章5本付けた古参兵曹。

同じシーンは映画「太平洋の嵐」にもあったなパー

操舵手の足下に格子状の木の枠がありますが、

床が鋼材と木材では立ち続けると疲労度が全く違うらしい。

 

 

空母から飛び立つ九九艦爆。

このシーンは実際のニュースフィルムのようですなパー

 

 

実際の真珠湾攻撃の第1次攻撃隊は夜明け前の未明に発艦したはずですがねべーっだ!

 

 

友田兵曹は九七艦攻撃の操縦士なんですな。

この映画の主人公なのに何故だか操縦している場面は少なし!!

 

 

真珠湾攻撃の場面は円谷英二さんの特撮が炸裂にひひ

この辺りが戦後になって米軍がこのシーンを実際にハワイで撮影したと思い込んで

東宝に「オリジナル映像を出せビックリマーク」と迫ったシーンか・・・

 

映画「トラ・トラ・トラ」では実際に現地で零戦(を模したT-6テキサン)を飛ばしてますが

確かに似ている!!

 

 

九七艦攻では魚雷を機体右側にオフセットさせてるのが分りますなラブラブ

 

 

空母では真珠湾攻撃の「戦況」を非戦闘員である主計長と軍医長のコンビにさせているのが

なかなか面白いところドキドキ

非軍人である一般人の観客に分かり易く場面を説明させるにはなかなか良いアイディア。

 

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んで、場面は変わって仏印(フランス領インドシナ)に進駐する海軍航空隊の場面。

 

 

立花海軍兵学校生徒は任官して海軍航空隊に勤務している状況。

 

 

九六陸攻が思う存分味わえますラブラブ

当時は最精鋭機であった一式陸攻もあったはずだけど・・・映画には一切登場せずシラー

 

 

機内の風景はセットを組んで撮影したとのこと。

 

 

英国東洋艦隊「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を撃沈して絶叫する立花機長ベル

正に日本海軍にとっては絶頂期となった瞬間の出来事。

 

しかしこの映画が公開された昭和十七年12月の時点では、

もう形勢は逆転していて日本は戦略的に敗北を繰り返す状況となっていたわけですけどねショック!

 

この映画を見て予科練に憧れて志願した若者達は訓練不十分な状況で第一線に送られて

特攻攻撃の主力となった世代。

何だかなぁ・・・です。

 

この映画で主人公友田を演じた伊東薫さんはこの映画を撮影後に陸軍に徴兵されて

この映画の大ヒットを見ずに中国大陸で戦死されたとのこと。

う~ん・・・です。