NHKTVで「全貌 二二六事件」を見る・・・の巻 | 乾パンのブログ

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8月15日に放送したNHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書に迫る~」を

改めて拝観いたしました。

 

 

1936年(昭和十一年)2月26日に始まった二・二六事件は、日本陸軍若手皇道派将校の

武力クーデタ未遂事件ですが、昭和史の謎の一つとして現代でも多くの研究が為されています・・・

 

何でも日本海軍軍令部の情報活動を記した機密資料が纏まって発見されたとのことで、

NHKが終戦の日に合わせてドキュメント番組として放送したようです。

 

 

6分冊の海軍赤本(機密文書)

どうやら終戦直後のドサクサで当時海軍軍令部部員だった富岡定俊少将が持ち出して

今日まで秘蔵されていたらしい・・・

 

 

軍令部上層部の稟議によって回覧されていたようです。

総長、次長、副官部、Ⅰ~Ⅳ部部長の他・・・

 

 

実は2時間掛けて書いたブログの記事を保存し公開したものの、公開直後に突如として消滅。

ここから以下は書き直した文です。

しっかし、延々と書いた文章が跡形もなく消えるって理不尽だなぁパンチ!

 

当時の軍令部には1~8課の外に「南」「直」という部署があったようです。

番組では「海軍上層部が目を通して確認した事実」と言っていましたが、

これだけの大部の書類は2~3日でも読み通すのは不可能。

ほとんどの部員はメクラ印だったと思います。ハートブレイク

 

事件において「第三者」的立場であった海軍ならではの冷静冷徹な事件記録でありますな。

当事者の記録だと、いわゆる「忖度」がどうしても生じますからね。

 

 

事件直後に反乱軍将兵が武装したまま陸軍大臣官邸を事情報告で訪問。

青年将校に激しく詰問された川島陸相が「蹶起の趣旨に賛同し昭和維新の断行を約束」とか、

 

 

戒厳司令部に連絡将校として赴任した軍令部員が

蹶起軍将校に昭和天皇の奉勅命令(=原隊復帰を促す命令)を伝達する役目の将校が

肝心の奉勅命令を伝達せずにお茶を濁した・・・の内容の電話を傍聴・・・

等は陸軍の公式書類には決して記されない類いですからね。

 

 

海軍関係者では小笠原長生中将、有馬良橘大将、南郷次郎少将の関与が記載されていますが、

これらの人たちは退役将校。

現役の海軍将校はさすがに記録できないと思うなぁあせる

 

それにしても右側に池田成彬、有賀長文の名前が見えますが、

三井財閥と事件にどのよう関係があったのかなはてなマーク

加藤大将の名前もありますが、これは加藤寛治大将でしょうかはてなマーク

 

 

蹶起軍と海軍で連絡を取り合っていたのは初めて知りました。

連絡将校はあの岡田為次少将だったとは驚きビックリマーク

岡田少将は終戦後に戦犯として内地からラバウルに連行され死刑となる運命が待っています。

 

 

当時16歳で海軍陸戦隊として係わった現在99歳のお人。

まかり間違えれば陸軍の野郎どもと東京で市街戦になる叫び」の発言。

陸軍の野郎ども」という言い方が当時の陸海軍の雰囲気なんでしょうな。

 

 

当時20歳で陸軍鎮圧部隊に加わった現在103歳のお人。

皆さん矍鑠としていて驚きですねぇ

 

私が二二六事件について興味を持ったのはこの時の電話盗聴録音盤に関するNHK特番から。

この番組を放送したのは今から40年前の1979年(昭和五十四年)。

この頃は事件の当事者達がまだまだお元気だった頃。

 

今日の二二六事件当事者は100歳前後の年齢となりました。

後、数年で事件を直接的に知る人はいなくなるでしょう。

人間には寿命があるから仕方がないのですが・・・

 

 

陸海軍が交戦する可能性もあったのは知っていましたが・・・

第一艦隊の戦艦群が東京湾に配備され何時でも主砲で砲撃できる体制だったそう。

千代田区が消滅」ってのもリアルですなえっ

 

 

再現映像に出てくる陸海軍将兵の軍装がリアルで驚き。

まぁコスプレなんだけど、誰が時代考証したのかなひらめき電球

 

 

事件収束寸前に拳銃自殺(未遂)する安藤輝三大尉の場面も詳細に再現。

凄い音譜

映画「226」で安藤大尉を演じた三浦友和さんを思い出しました・・・

 

 

海軍陸戦隊の兵器や弾薬数の一覧表もなかなか見応えがあります。

大隊と言っても兵数400人ちょっと。

僅かな軽機関銃・重機関銃を装備するのみで、実際の市街戦となればなかなか厳しかったと感じます。

 

三年式重機関銃や十一年式軽機関銃の外に

ヴィッカース重機関銃やルイス軽機関銃も装備していたのが海軍らしいのかな!?

 

 

海軍軍令部は既に2月26日以前から事件についてかなり詳細に把握していた。

番組では「海軍は事件の計画を事前に知っていた。しかしその事実は闇に葬られた。その後、起きてしまった事実を記録した秘密文書。不都合な事実を隠し自らの保身を図る組織の姿であった。」

とありますが、コレは海軍にとってはなかなか辛辣な見解ですな。

 

 

この番組の内容を見る限り、当時の海軍はいわゆる「情報収集」が主で有り、

スパイを放ったり、電話・通信を無断で盗聴・検閲するなどの諜報活動はしていなかったようです。

 

 

事前に事件を知り得たのも警視庁特高課長からの連絡や・・・

 

 

東京憲兵隊隊長との会見からだったようです。

 

これじゃ事件を事前に察知したからと言って、どうすれば良いのかはてなマークと言いたくなるなぁ

法制上、当時の陸軍将兵の犯罪は陸軍刑法によってのみ裁くことが可能。

 

となると筋を通せば、海軍が事件の可能性について通達するのは陸軍しかない。

陸軍から得た情報を陸軍に伝えるってか!?

んな、バカな汗

 

まぁ事件で襲撃された岡田首相、斎藤内大臣、鈴木侍従長はいずれも海軍将官OBだし、

先輩後輩の私的ルートでの「警告」はあったと思いたいがなぁむかっ

 

実際、警視庁では政府首脳に陸軍将校によるテロの可能性があることは通達していたそうですがね。

警視庁特高警察は海軍を遙かに凌ぐ諜報機関で事件についてかなり事前に探知していたそう。

 

歩兵第一連隊では山口一太郎大尉、歩兵第三連隊では安藤大尉が

(夜の連隊長と称された)週番将校の夜がヤバいとまで察知。

 

正に2月25日の夜がその晩だったのですが、

よもや大雪の日にそんな事が起きるとは思わなかったそうで・・・

おかげで桜田門は無抵抗のまま決起部隊によって占拠される結果となったわけで。

 

警察庁では間違いなく二二六事件についての詳細な報告書が保管されていると察します。

でもそれが公開される可能性は皆無だろうなぁ

 

海軍の機密文書が公開できるのも日本海軍が終戦時に解体消滅したからこそ。

日本の警察組織は明治以降現在まで連綿と続いていますからね。