深川江戸資料館に行く・・・の巻 | 乾パンのブログ

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この前の土曜日は明治神宮野球場で全日本大学野球選手権の準決勝を見ようと考えていましたが・・・

雨で順延となったために、東京市深川区清澄白河駅前にある深川江戸資料館に行ってみました。

 

 

土曜日の東京はザンザン振りの大雨でした雨

こりゃドーム球場でもない限り野球は無理でしたな。

 

 

江戸の下町を再現したミュージアム・・・ってわけで、そこそこ有名ですかねはてなマーク

実は東京235区内でもこの辺りは意外と交通の便が良くない場所でして・・・

 

隅田川~荒川に挟まれた東部は東京都電が比較的最後まで廃止されずに残った地域。

交通量が多い場所じゃぁねえし都電を残して欲しかったなぁあせる

 

 

入口には大鵬関の等身大立て看と共に功績を表したコーナー有りラブラブ

大鵬は深川と関係があるのかなはてなマーク

 

 

江戸時代から町人の街として発展した深川。

様々な「偉人」が暮らしていたようです。

 

 

お~・・・新選組で活躍した(で、粛清されて惨殺された)伊東甲子太郎も深川に住んでいたんですね。

そもそも鈴木家に生まれた甲子太郎は深川の高名な剣術道場に婿入りして伊東姓を名乗ったとのこと。

 

 

地下1Fには深川の街並みが再現されていました。

こりゃスゲぇや音譜

なお、金持ちの家は瓦葺き、庶民は板葺きの長屋に暮らしていたそうです。

 

 

八百屋さん。

店子のようです。

 

 

で、このお米屋さんがこの地域の大家さん・・・ってのが設定のようです。

米問屋から米を購入にて精米して庶民に売る商売とのこと。

右奥に唐臼がチラリと見えますな。

 

 

江戸下町の路地裏が表現されています。

 

 

時代劇でお馴染みの防火用水。

 

 

水運業の発達した深川の再現。

右側に猪牙舟が見えますね。

 

 

船宿ってヤツ。

鬼平犯科帳」では悪人のたまり場なんですけどねかお

 

 

船宿と言っても旅館というよりも、船員や乗客の休憩・娯楽施設だったようです。

 

 

御大尽様はこのような施設に休憩しつつ、舟や駕籠でで移動したんだろうなぁ

 

 

このような場所のかまどは鉄板に覆われた造りだったんだひらめき電球

 

 

いわゆる二八そばの屋台。

これも時代劇でお馴染みです。

 

 

天麩羅も江戸のファーストフードとして大流行したそうクラッカー

火事の恐れがあるので屋台でしか認可されなかったようです。

 

 

稲荷鮓の屋台。

酢飯を油揚に入れたお稲荷さんも流行しました。

 

動物性タンパクを摂取する機会がほとんどない庶民にとっては、

植物性タンパクの豆腐を胡麻油で揚げた油揚は身近な贅沢品だったんですねぇグッド!

 

 

長屋を切断した展示。

素晴らしい!!

 

 

むきみ(貝)売りの若者(独身)、政助の住居という設定。

深川は現在でも「深川飯」という名物が残っているように貝が特産だったんですねぇ

 

 

いわゆる棒手振ですね。

この当時、畳は個人持ちだったとのこと。

この政助さんは金のない若者ということで、板の間にゴザを敷いて暮らしていたとの設定。

 

 

庶民のかまど。

これじゃ、ちょっと火加減とちったら簡単に火事になっちゃうよなぁメラメラ

 

 

これはもうちょっと贅沢な庶民の住宅。

猫を入れた籐かご。

 

 

暖かそうだし、今でも猫用にこんなのを販売すりゃ売れるんではにゃー

 

 

この頃の長屋には現在で言うところの押入はなかった・・・

よって衣服を収納する箪笥は必需品だったんだな。

と同時に、寝具を収納する畳屏風も一般的だったようです。

現在、タンスは現存しますが畳屏風なる家具は死滅してしまいましたガーン

 

 

井戸は玉川用水を利用していたのかなはてなマークと思って学芸員さんに質問したら、

隅田川のひんがし側にある深川には玉川用水はなくて・・・(考えてみたら当たり前ビックリマーク

 

井戸を掘っても海水が湧き出るこの地域での飲料水は、

隅田川の水を汲んで売る「水売り」に頼っていたそうです。

大変だったろうなぁあせる

 

 

お米屋さんの土蔵。

 

 

鬼平犯科帳」だとこんな蔵に隠されている百両箱を悪党が強盗するってのがパターンでしたわなニコニコ

 

 

米倉ですから、ネズミの侵入を阻止する「ネズミ返し」が必要だったようです。

 

 

この展示は深川佐賀町という場所の幕末期の街並みを再現したそう。

このような庶民の暮らしって意外と記録に残らないシロモンで、この民俗学的資料は極めて貴重です。

 

 

資料館では杉浦日向子先生の特設展示もあり(写真撮影は不可)

博学のスーパーウーマンでしたねぇ・・・

夭折されてしまいましたがねしょぼん

 

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白河から森下に向かって少し北に歩くと、小名木川にぶち当たります。 

 

 

西深川橋。

1930年(昭和五年)建立の無骨な鉄骨のワーレントラス橋。

素晴らしいラブラブ!

 

 

のらくろ通りと称するようです。

 

 

江東区森下文化センターにはのらくろ館が併設されています。

 

 

田河水泡先生の「のらくろ」は何故だか父の実家にあって幼少時代に貪り読んだ記憶があります。

今思い起こせば戦前の書籍は貴重な文献だったと思いますが、どこにいったんだろうねぇドンッ

凄い立派な造りの漫画だったのは覚えているのですが・・・