宝塚大劇場で宝塚歌劇雪組公演『壬生義士伝』を観る・・・の巻 | 乾パンのブログ

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昨日は宝塚市にある宝塚大劇場まで宝塚歌劇雪組公演『壬生義士伝/Music Revolution!』を

観に行きました。

11時公演。

 

 

大劇場は・・・宙組『オーシャンズ11』以来です。

宝塚大劇場公演は各公演で1回づつ遠征しています。

通い過ぎだ・・・とは自分でも重々承知ですが、モットモット通いたくなるのが宝塚歌劇の魅力ラブラブ!

 

 

隣の新宝塚ホテルも順調に建設が進んでいる様子た。

まぁ来年春開業予定ですからね。

 

でも思ったよりも階層が低い建造物じゃんか!?

どうせだったら50階ぐらいの高層ホテルにすりゃぁ良かったのによぉべーっだ!

 

 

『壬生義士伝』は石田昌也先生の作品。

原作は浅田次郎先生。

雑誌「週刊文春」の長編連載小説でしたな。

 

観終えた第一感は昨日の弊ブログで述べた通り。

なお私は浅田先生の原作は未読なんで、以下の所感はトリビアルな箇所があるかも知んねぇけど

まぁこんなことを考えたヤツもおるんだってなことで御容赦頂ければ幸いであります。

 

この長い小説を如何に石田先生が咀嚼し料理したのかはてなマークですが、

吉村貫一郎と新選組の愉快な仲間たち・・・を描きたかったんかな!?

 

吉村と斎藤一、沖田総司、土方歳三等の新選組隊士等の交流が印象的に描かれています。

盛岡藩時代の吉村の描き方はあまりに駆け足過ぎて唐突ビックリマーク

 

鳥羽・伏見の戦いでの敗戦から吉村が盛岡藩別邸に駆け込んでからの一連の出来事は後日談。

その後の盛岡藩内でのエピソードは後日談の後日談に感じました。

まぁ長い長い原作を石田先生なりに考えた解釈なんだろう察します。

 

よって吉村の妻しづ(真彩希帆)や”竹馬の友”大野次郎右衛門(彩風咲奈)よりも、

新選組隊士仲間であった、斎藤(朝美絢)や沖田(永久輝せあ)の方が美味しい役に感じられてさ。

 

本来なら大劇場公演と言うよりも別箱公演でジックリ描いた方が良かったんでしょうけどね。

鹿鳴館の場面とか、員数合わせにしか感じられない演出だもんなハートブレイク

 

 

 

主人公吉村貫一郎(望海風斗)は盛岡藩の貧しい足軽同心。

 

吉村の”竹馬の友”大野は盛岡藩上層藩士の(側室でもない)妾の子。

それが直参大野家の養子となり大出世ドキドキ

 

妻しづは農民出身の娘。

大野次郎左衛門の求婚をふって、吉村に嫁いだという経歴。

 

某ブロガーさんの記事で、この3人の人間関係が上田久美子先生の雪組公演『星逢一夜』に

似ている・・・と初めて気が付きました汗

まぁ似てると言えば似ているけど・・・特に関連性はないですな。

 

江戸時代は士農工商による固定された身分制度の時代・・・と思いきや、

身分間の違いは結構曖昧で流動性があったようです。

 

特に武士と農民の差は難しいのです。

戦国~江戸時代でも上層武士でさえ帰農するのは珍しくなく、

彼らは限りなく武士に近い農民として扱われたそうです。

 

一方、同心(足軽)は郷士(原士)と同等であると考えられていたそう。

限りなく農民に近い武士も少なからず存在したと・・・

 

とは言えね・・・そんな彼らでも貧農(水呑百姓)よりも遙かに恵まれた立場。

ってなわけで宝塚では都合の良い扱いにされてますわね。

 

 

盛岡雫石で貧しいながら妻子を愛して懸命に生きる吉村。

しかし、妻しづの自殺未遂から、脱藩→新選組加入という一大決心する・・・

 

このしづのエピソードは結構唐突で唖然。

時間の関係なのでしょうけど、あくまで吉村が新選組に行く切っ掛けとなる動機付けだけなのでしょう。

 

 

新選組の一員になってからの吉村の話は巧みで面白いラブラブ

優しいけど強い、朴訥だけど極めて優秀音譜

出来過ぎの男です。

 

斎藤一や沖田総司とのエピソードもなかなか良いねぇ

最初は吉村を馬鹿にしていたのがみるみる人柄につかれて行く・・・

あーさやひとこは美味しい役でした。

 

金にガメツイ吉村、だいもんの演技には客席には失笑に近い笑いが・・・

でもこれが吉村の矜持であるんですなパー

 

粗にして野だが卑であらずの生き方なんだと思います。

あくまで妻子を支えるという理念ある生き方。

しかし卑怯な真似は決してしない、義に生きる男でもあると・・・

 

結構、格好良すぎる人物像です。

まぁ宝塚のトップスターの役ですからね。

 

 

そんな彼が鳥羽伏見の戦いの後、盛岡藩の大坂藩邸に舞い込み命乞いする・・・

義に生きる吉村には似合わない行為に何でかなぁ~・・・と少し考えましたが、

以下はこの演出を観た私の見解です。

 

吉村の考え方の基本は勿体ないの精神なんだと感じました。

鳥羽・伏見の戦いでの敗戦後、新選組の仲間達に握り飯を配り自らは食べません。

 

この意図は・・・この時点で既に吉村は死ぬ決意だったんだということ。

死ぬ人間に握り飯は無用だといういうこと。

一方、新選組の仲間達は何とか生き延びて欲しいという一心で握り飯を食べさせたとガーン

 

そう考えると何で吉村が大坂藩邸に舞い戻ったか・・・分かりましたよ。

彼は瀕死の重傷を負い、最早寿命が尽きるのが時間の問題なのは自分でも承知であった。

 

しかしながら僅かな二分金を持っていた。

このお金を故郷で待つ妻子に送り届けるにはどうすれば良いのかはてなマーク

 

そう・・・卑怯だと言われようとも大坂藩邸に行って大野次郎右衛門に託すしかなかったと。

実は吉村にとって熟慮の上の合理的判断だったんでは汗

 

末期の握り飯を食べなかったのも、死ぬ自分には無用の存在だったと言うこと。

切腹に百両の名刀を用いずに、自分の折れ曲がった刀を用いたのも勿体なかったからこそ。

 

実戦において日本刀は消耗品であり、折れ曲がった刀でも使えるモノは使う・・・という

ある意味真っ当な判断ではありますが・・・

 

僅かな二分金も百両の名刀も吉村の遺言により、

大野の手によって無事に故郷の妻子に届けられます

吉村貫一郎の思いは通じたことになります。

 

多分、しづや子供達と離れて新鮮組に加わった時点で故郷に帰るつもりはなかった、

死ぬ気だったんだろうなと・・・

そういう見解に至った瞬間、私はパソコンの前で号泣してしまいましたよしょぼん

 

あくまで私の深読みなのでしょうけど、この『壬生義士伝』は凄い傑作じゃないかと感じちゃいましたねチョキ

 

とにかくこの芝居はいろいろ語りたくなる魅力があります。

以下・・・続く・・・はず。