愛知大学に行く・・・の巻 | 乾パンのブログ

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戦前期の日本には「軍都」と称される軍隊の町として栄える都市がありました。

日中戦争が泥沼化する前のまだまだ「平和」だった時代の話ですが・・・

 

陸軍だと・・・旭川や高田(新潟)や善通寺が有名はてなマークですが、愛知県豊橋市もその1つ。

結構現在でも戦争遺跡が残っているようです。

 

と言うわけで、今日は久々に豊橋市に散策に出かけてみました。

主目的地は愛知大学豊橋キャンパス。

旧日本陸軍15師団、後に陸軍教導隊や予備士官学校があった場所・・・ですね。

 

 

豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅。

愛知県ってさぁ・・・尾張と三河では大分「気質」が違うんだけど、

同じ三河でも西三河(岡崎とか)と東三河(豊橋とか)でもかなり感じが違うんだよなぁ

 

 

元東急7200形の豊鉄1800形。

綺麗なお顔だなぁドキドキ

 

 

東急池上線で7200形を更新した7600形に乗ったことがありますが、ワンハンドルマスコンだったですからね。

そもそもはこんな感じの運転席だったんだビックリマーク

素敵音譜

 

 

愛知大学前駅で降りて直ぐにある愛知大学の通用門。

かつては陸軍歩兵第六十聯隊の正門だったようです。

 

 

俺はもちろん部外者なんだけどなぁ・・・

でも高校や中学校はヤバいけど、大学だったら入っても良いかなぁあせる

 

 

まぁ構内にこのような部外者向けの表示板もあるしねぇラブラブ

 

 

正門はいって右手にある将校集会所跡。

板張りの洋風建築ですね。

 

 

見ての通り、入り口が内開きのドア。

現在ではあり得ない構造だしじっくり観察してしまいます。

(銀行とかATMは今でも内開きですけどね。)

 

 

かつては土塁だったそうですが、このコンクリート塀も戦前製ですな。

 

 

こちらは愛知大学正門でかつての第十五師団の正門。

 

 

大学資料館(旧本館)は昔の第十五師団司令部庁舎。

表側は工事中だったので裏側からパチリカメラ

 

 

シンメトリーな構造の階段も美しいラブラブ

 

 

2階にある学長室はかつての師団長公務室。

 

 

愛知大学って上海にあった東亜同文書院大学の後身だったんですねぇ

初めて知りましたえっ

 

東亜同文書院って日帝による中国侵略の先兵となった帝国主義的反革命組織だ・・・と

学生時代に教わったんだけど、まぁそれは置いておきましてあせる

 

 

機銃廠と称される木造建築物。

 

 

火薬庫跡の土塁。

かつての火薬庫は現在ではプールに成ってるねニコニコ

 

 

かつての大講堂は現在は体育館になっています。

 

とにかく・・・軍事遺跡というだけではなく、これほど昭和戦前期の建築物が

まとまって保存している場所は初めて見ました。

これは凄いことだと感じます。

 

私立大学って国公立に比べて「お金持ち」だから、古い校舎はとっととぶっ壊して新しい校舎に建て替えるもんだけど、愛知大学って古いモノを大切に保存する気運に満ちているようです。

 

VIVA愛知大学恋の矢

入るんだったら愛大ですよ、高校生の皆さんチョキ

愛大って書いて思い出したけど、四国に居た頃は「愛大」って言やぁ愛媛大学だったなにひひ

 

 

結構いろいろネットで調べても拾い切れない様々な軍事遺跡が現在でも残されているみたいで。

今度レンタサイクルでも借りて本腰入れて散策したい場ですわ、豊橋はラブラブ!