時々、神奈川県横須賀市久里浜に行く用事があるのですが、昨日も久し振りに行ってきました
ちょっとした所用で大して時間も掛からないため、いつもの通り、ペリー海岸を散策
暑かったなぁ
この地にペリーが降り立ったのは1853年(嘉永6年)7月4日(太陽暦)。
と思うと、感慨深いね
東京湾横断フェリーはガキの時に乗った記憶が鮮明に残っています。
船酔いしたのでね
海岸を振り返ると見えるのは、ペリー記念公園。
伊藤博文公が揮毫した「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」の記念碑
「伯」は音読み(呉音)で「へ」とも発音するのですが、
「へ」は江戸時代初期までは「フェ」 、奈良時代までは「ぺ」であり、
ペリーに「伯理」とあて書きしたのは理に適っているわけだヽ(゚◇゚ )ノ
記念碑を取り囲む花崗岩の角柱ですが・・・
1945年(昭和20年)の写真にも確認できるし、建立当初からあるのかもしれない
なおこの記念碑を巡る終戦時の「ドタバタ」は「ペリー上陸記念碑」のWiki に詳しく記してあります。
今振り返ると「馬鹿馬鹿しい」わけですけど、当時は「本気」だったんだろうね
裏面にある英語文。
「このモニュメントは、1853年7月14日にこの地に降り立った人、アメリカ合衆国からの大使、ペリー代将の最初の到着を記念した物 アメリカの友人協会により1901年7月14日建立」
で合ってるのかな
100年前に書かれた日本語文書を読むのは現在ではなかなか困難だけど、
英語の場合は、中学生程度の読解力しかないオレでもすらすら読めるじゃないか
それだけ「近代国家」になってからの日本語の変遷が激しいのだろうけどね
(´-`).。oO「エレクトした」は、私的には「アレが勃起した」の一択だけど、
もちろん「建てる、建立する」の意もあるんだろう・・・
ペリー提督が提督ではなかったことはよく知られているけど、確かに「COMMODORE PERRY」で
「ADMIRAL PERRY」ではない。
これはペリーが若輩者だったわけではなく、当時の合衆国海軍には提督という階級は存在しなくて、
最高位が代将だったってことらしいけどね。
と言うか、「黒船のリーダー」を「水師提督」と意訳したのは当時の日本人であり、
提督を「ADMIRAL」に当てたのは明治時代になってから。
と言うわけで「ペリー提督」もまんざら間違えでもないわけだけど、ペリー個人を語る上では誤解を招きやすい表現。
使い分けが必要ってことか