情報を得たので 再度 井手町へ向かいました。

橘諸兄公旧跡付近を検索しても見つからないので消失したのかなと思っていたら

339. 橘諸兄公古蹟寿福院の碑をネット見つけましたのでまずそこから

橘諸兄公古蹟寿福院と思っていましたが、寿福院が間違いで、建っているのは、地福寺(地福院)でした。

地福寺境内西側に建つ

339. 橘諸兄公古蹟寿福院の碑

 

「橘諸兄公故址壽福院」

「昭和三年秋稟京都・・・・」

 

次は、教えて頂いた情報により、大正池方面に進みます。井手町立井手小学校有王分校の

手前を右折

次の三差路を右折

150mほど進むと左手に

地図上は、宝蔵寺が、ありその北側に中神琴渓の墓があります

墓の南側に

記載外

「開拓祖贈従五位田村永貞好翁旧址」

「昭和三年秋稟京都・・・」

 

最後に井出寺跡まで戻り 「是南二丁」のとおり南側の藪のなかにある

記載外

「井堤寺故址」

「昭和三年十一月稟京都・・・」

 

私有地にあるため所有者の許可をもらって撮影しました。

 

   以上、井手町の8基ある三宅碑を巡りました。

 

情報を頂いた井手町ふるさとガイドの宮本さんには、この場にてお礼申し上げます。