笠岡渡船へ向かう途中に小ネタ拾いします。
小ネタ、八つ墓村の濃茶の尼のモデルだという「濃茶のばあさん祠」
これは・・がっかり聖地認定!笑
周囲は少しの田んぼと沢山のふつーの住宅街。。
笠岡遊郭・・笠岡港と伏越港とJR山陽本線、鴨方往還が集まる場所。
今は笠岡諸島に行く小さな船が着くだけですが、以前は複数の路線があったそうです。そんな港町の遊郭跡を見にいきました。
2009年に火災があり大物が5軒消失したので、
まぁ小ネタ程度の立ち寄り気分で出港前に寄り道しました。
私は山側から・・一通だったからだと(失念)
山陽本線の線路とマップには無いドブ川の間に挟まれた小さな一角です
ささやかな踏切も可愛い。
赤線や私娼窟によくある、どぶ川の上に建物。
正確な場所はわかっていなかったけれど、これをみて「ここかー」って納得しました。
意外にも石積みが立派。
昔はここがお歯黒ドブの役割だったのかな?
あまり仔細はわかりません、ご近所の方調べてみてください。。
遊郭と名前がついているからには相当古くから商売をしていたとは思います。
昭和5年に妓楼16件、娼妓63名。
火事で焼けてしまったが、大正レトロな大きな病院が真ん中にあったそうです。
だとしたら駆黴院(くばいいん)がちゃんと活躍していた正式な遊郭だったと思います。(もう無いので、、思いますばっかになってしまう)
良いじゃないの〜、雰囲気はめちゃくちゃ出てます。
正面がガラ空きな部分に病院を含め数棟の妓楼があったそうです。。
この数棟は遊郭物件じゃないです、多分その関連会社だったと思う。
一つは美容院でした、外置きの植木鉢の草木が枯れるレベルで廃墟時代が長いのがあかりますね。
内部は美容院のまま!タオルとか干してあるし・・主人が急にいなくなった感じがします。
お向かいはポストもあるし、日用品のお店だったっぽいなー
右も左も穴だらけの元遊郭。あの山にへばりついてる建物も旅館だったっぽい。
そこそこ規模は大きかったんだなって思いました。
西の遊郭の区分けとかマークとか様式とか、経済の流れとか全然わかってないので、
予測して語れる話もあんまり出ません・・
鴨方往還の地名を見ても全然想像つかないです。西の人が調べてくださいー
なくなりそうな遊郭の写真をUPレベルの記事だと思って・・・
ピンクの枠に2階の壊れた手すりが素敵。
プロパン屋?もう遊郭の敷地ですが・・
ジョブチェンジしたにしては、、字体がレトロ。
ここが遊郭内ってわかったのは、隣の家から小さな小さなおばあちゃんが出てきたからです。
ちらっと見えた玄関?がとても特徴的で。「あ、ここは商売してたんだな」ってわかりました。
私見ですが、全国の滅んでいる私娼窟や遊里に住んでるおばあちゃんたちってみんな140cmあるかないかの人ばかりです。びっくりするほど小づくりの人ばかり。
「女の子はみんな体重が40キロ」信奉者はそういうお店に行きすぎなんだと思う(笑)
遊郭内では女性に大変厳しい摂食を強いていました。
右手が2009年大火があった場所らしい。この見える範囲全部元妓楼です。
ちなみにここの位置から右手遠方に見えるビルは現役の金バッヂ事務所なので、そちらは写さない様に行動します。
外観は地味なんで、さして説明したくなる建物じゃない・・
中、みたいなぁ〜
わー、かわいいプレート!「遊興飲食店」ですって。
バチの紋様?
ちょっとぎょっとするレベルのゴミ屋敷もあって、治安悪そう。。
狭い路地でも入り口の小さな三和土部分はオシャレにしてる。愛媛の青石よね。
おそらく住んでいても80を軽く超えている人だけって感じがします。
遊郭物件が集まっているけど状態が悪すぎます。近いうちに全部とりこわされそう。
いけず石がある、西っぽいね。
金持ってこーい!
屋根瓦の大棟がすごい、波がランダムにうねりあげていて魚も泳いでる。
列車が来た、こんな近いんじゃガタンゴトンと遊郭の建物も揺れていたでしょうね。
この原っぱが中心だったようです。
2009年前にコッテリと写真を撮った人はいないんじゃろか・・立派な建物があったそうですよ。
ほんと外観にこだわりない遊郭だわねー、この字型の典型的な建物。
内部みたいなぁー
波打っている古いガラスに紋が入ってる、素敵ねー。このガラス救出してほしいよー
遊郭を一歩出ると、伏越の港がみえました。
この位置から振り返った写真
角の元印刷屋さん、丸窓を埋めた跡、スクラッチタイル。。
小ネタといえば小ネタですが、とても良い街並みでした。笠岡へきましたらぜひ。