最近トイレ掃除が嫌でしょーがなくなりました。
(もうなにもかも面倒で手抜き始めてる、食洗機買ったし)
で、トイレスタンピーというのを買いました。
トイレに花の形にジェルがくっつくやつ。
こいつが・・・もう4回スタンプしてるのに綺麗な花にならなくってw
(場所が場所なのでお見せできません)
自分どれだけ不器用なんだよ〜ってなってます。
コツを教えてください。
巨大博物館に誰もおらん!笑
前回立ち寄った中町公民館にこれ↓のポスターが張ってありまして。
「そういや富山の薬売りじゃん」って誘われました〜
先に言うとこの企画展すごかった!神奈川にまるっと持っていったら結構な集客できるレベル。
富山ではなく滑川をアピールする意味とはいかに・・・
朝から無休憩で駅舎巡りをしておりました、博物館1Fに嬉しい休憩ポイントがありました。
ええ!このセッティング込みで200円ですか〜(しかも豆挽き珈琲)
今日がうまく進みすぎて幸せ噛み締める。
この博物館は20mくらい登ったところにありまして、全方向の田んぼを上から眺められるという・・・
神奈川にあったらほぼ連日入り浸る事間違い無い博物館です(無料)
さて、まず常設展。。昭和くさい誰も居ない無料博物館・・内容はさぞかし・・
まじかすっげーー!街並み作ってるじゃん!!
そうだ、箱がデカかった!展示もすごくなるわよね。
それっぽいナニではなく、ちゃんとモデルの地元の商家があります!
右手にあるライト、本物の明治19年製ガス灯です。ここの展示の小物はほぼ全部本物でした。触れるんじゃが・・いいんか?
置いてある品も本物・・旅籠屋
酢醤油 小宇利(小売)の藍染ののれん。
橋にかかっていた高札。
法律とかそういうのではなく
道徳的な事が書いてありました。人の道を外れるなって事。
真ん中の難しい漢字のは
「鰥寡孤独貧窮老廃疾」かんかこどくろうじんはいしつ
寡婦、子供、独居老人、障害者の意味です。その人たちに慈愛の心を持てって書いてある。これは律例の・・江戸時代の条例みたいなもん。
(当ブログは初級向けでございます、正確に知りたい場合は調べてください)
展示に川がありました、滑川は川と海と田んぼが目立ちます。
江戸時代は滑川のコメは大阪に持っていきました、後は細々と漁をする貧しい村でした。富山に奉公に行く者がおおく、そこで薬の調合などを真似て滑川で製造行商を独自で始めました。
江戸時代は富山の薬売り協会から「パクって勝手に売るな」と藩の訴状を出されたりと・・・色々あったそうです。
薬行商人が出始めたのは江戸後期です。
ここから薬行商人のお話します。
江戸時代から明治にかけては主に船で行商に行きます。スタイルは決まっていて黒い大風呂敷に行李、アイヌの厚司織物を羽織る。。北前船で北海道のものが普通に手に入ったのですね。
昭和5、6年頃から自転車で行商。昭和30年頃からアタッシュケースと車。
遠方に売りに行く際は定宿を決めて仲間で拠点を作り販売。
定宿は東京大阪レベルではなく、海外にもありました。
戦前は中国韓国台湾南洋樺太と彼らは大風呂敷に行李一丁で売り歩きます。
岡本綺堂の中国(台湾?)を舞台にした小説に「原住民は日本人を見ると全員薬を持っていると思い込んでいる」との一説がありました。
これは「富山&滑川の薬売り」のことを指していたのですね〜
(ここで謎なのですが、中国って漢方発祥なはずなのに、戦前の頃は現地には薬が全くなかった記述がありました・・常備薬が出回って無かったのかなぁ)
2Fの展示室への廊下からの風景すごすぎた。桜の季節はさぞかし・・・!
ポツンと400X。素晴らしい風景と展示と資料なのに(涙)ありえん。。
滑川の薬売りの範囲は「東京埼玉新潟北海道・・etc」神奈川がありませんでした。
常備薬って富山の薬売りって念頭にあったのはうちの方に来なかったからなのかな?
都民、埼玉人の人は滑川の薬売りをご存じでしたか?
ここからは雑貨屋さんか?ってくらい素敵な薬袋や箱が山盛りでした!
女性の絵が多かったです。
お得意様のお子さんに配る紙風船。
糸巻き
戦前の日本は今よりもずっと色鮮やかでしたねー。日本画も基本は明るいものですし
元々私たちは明るく華やかなものが好きなんだと思う。
薬売り達の信仰は「神農様」旅の安全と商売繁盛を祈ります。
写真をあげきれませんが、薬を粉から丸薬に仕上げるまでの道具や、紙袋の板木など。
ここにあるもので薬が作れちゃう一式がありました。
大変興味深い展示で大満足しました!