写真は榧(かや)。
爺は貧乏な上に物への執着心が強いのでしょうか、榧(かや)について駄文を弄するのは3回目になります。
今朝も「榧(かや)について」何やかや(このカヤはダジャレではありませんぞ)書き募る理由は2つあります。
理由①
昨日から「大相撲大阪場所」が開催されています。
一昨日は「土俵祭」が行われたでしょう。
「土俵祭」には土俵中央に作られた穴に、コメ・ムギなどの穀物と同時に、カヤの実も埋納されたはずです。カヤの実を土俵に埋めて、災難がないように祈願するのですね。
昔からカヤの実には霊力があると信じられ、今でもカヤの実付きの守り札をくださる寺社があります。
理由②
以前から爺は「泣き言」の形で、鉢植えの植え替えの辛さをを愚図愚図書き散らしています。
早春の寒さの朝にも、背を丸め、洟水垂らしながら作業をするのですが、苦労の甲斐あって800鉢のうち400鉢はめでたく完了致しました。
かかる繁多な作業中にも、様々な人との出会いや、出来事がありました。
昨日は、しばし行方の分からなかった「榧(かや)」の豆鉢を発見致したのです。
この「榧(かや)」は、遙か以前に歩き始めたばかりの、孫のコタ君が採集した記念品なのであります。
我が家と道路を挟んだ向かい側は、もう何年も手入れがなされない、放置雑木林だったけれど、いつのことであったのか、地主氏が宅地に造成する計画を立てられました。
地主氏が彼の土地を宅地にしようが畑にしようがまったく自由なのですが、問題はこの雑木林には古代遺跡が眠っている、ことでした。
宅地造成前に、遺跡調査をするとの話は、自治体広報誌が伝えていたので、爺も承知していました。
発掘調査は何度か見学しましたが、弥生晩期から4世紀・5世紀の住居跡などが、永い歴史の彼方の夢を語ってくれました。
住居跡の「村」の辻に立っていたであろう、巨木の炭化した根は「榧(かや)」ではなかったか、と思うのです。
そう思う根拠は、「榧の(かや)」の実は縄文時代から人々には重要な食べ物であり、「村」の人たちは、生命を維持する霊力のある果実であったことでしょう。雑木林には何世代か後の「榧(かや)」の木が何本か残っていたからなのです。
爺はその頃まだよちよち歩きだった孫のコタ君の手を引いて、発掘現場周辺を歩きました。
その時コタ君の拾ったのが、写真の「榧(かや)」であったのです。
さて、その「古代遺跡」のロマンに繋がる「榧(かや)」は無事であった!
爺はこの喜びを分かち合いたいと、コタ君を呼びましたよ。
あのよちよち歩きだったコタ君は、今「オレ」と自称するのです。
「え?オレが拾った?この木を?ナマハゲみたいな葉っぱだね。でもオレ知らないよ」
雑俳5句。
榧の木に榧の花咲く古代思ふ(春)
榧の実に昔の人の祈あり(秋)
オレンジの香り直ちに笑顔かな
綿飴も初午露店に並びけり
初午や帽子も服も売られあり
腰折れ1首。
初午の村の鎮守の露店には服も雑貨も売られけり