赤い実も緑の葉も出来が悪いほど可愛い | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


万年青

写真は万年青(おもと、まんねんせい)。

万年青(おもと)を好む人は園芸趣味家の中では少数派でありましょうか。
愚老も万年青は近所の盆栽爺様にいただいて、数鉢持っているだけです。

けれども、万年青栽培を本格的におやりになる方の入れ込みは、素晴らしいものがありますね。
怠け者の小生など、及びも付かない手間と工夫を重ねておいでになる。
彼の人たちの、愛倍なされる万年青を観る度に、愚老は自らの鉢花に関わる軟弱な姿勢をどやしつけられるような気がするのです。

緑葉に綾なす覆輪の模様、葉の巻き様、などに一分の隙もない鋭い眼差しを注いでおいでになる。
四季を通して形を変えない万年青(おもと)の真摯な姿に、生物の永遠(とわ)の生命を観ておいでになるのでありましょう。

写真でお示しした愚老の万年青などは、栽培の初心者の扱う品物だと思います。
なれど、鉢の隅には安物の石造三重の塔など据えてみて、何やら意味ありげに拵えたものです。
よくよく御覧になると、安物の三重の塔は基壇付近で折れておりまして、セメダインで接着してあるのがおわかりでしょう。
愚老の浅はかな思いつきと、修復作業で、全体が無茶苦茶。作景の意図不明なものに相成ってしまいました。

近所の盆栽爺様は「万年青のその後の成り行き」を確かめにしばしばお出でになりますが、この三重の塔がことのほかお気に召さないようで、毎度苦い顔で御覧になります。

昨秋は別の鉢の万年青の実なりについて注意されました。
「万年青はね、葉を観るのだよ。葉を!宿場の飯盛り女みたいなこの赤い実をつけてどうするのだ。捨ててしまえ!」
愚老は、水戸街道牛久宿の「助鄕一揆」を調べておりますが、「宿場の飯盛り女」なる奇抜な比喩は耳慣れない言葉です。
爺様の勧告に応じて、赤い珠実を捨てる気にはならず、そのままに置いておきました。

愚老、万年青の身になって以下のように考えるのです。
【何ものにも代え難い深い愛と、あたう限りの手を掛けて、辛うじて育て上げた我が子「紅珠玉」を、世間からは一顧だにされなくて、切ない思いを抱く「親」は私(万年青)ぐらいだろう。でもね、出来の悪い子ほど可愛いのだよ】
せめて愚老ぐらいは万年青の赤い実を大事にしてやろう。

駄句5句。
今朝の雪万年青(おもと)の蒼に消されけり
雪の朝万年青蘇生の深緑
万年青見る鵯(ひよ)の記憶に紅の珠
万年青の実紅の珠をも観手(みて)のなし
凍雪(いてゆき)を万年青臥せりて過ごすかな

腰折れ1首。
幾星霜白覆輪の万年青の葉凍雪(いてゆき)の朝深緑なり