写真は秋の芽。
愚老は無精と怠け癖にかけては誰のも負けない、と思っています。
かような自負は人に先んじて物事を行うとか、人に隠れて善行に取り組むとか、少なくとも「後ろ指指される」ことのなき生き方を誉められたときに胸を張るべきなのでありましょう。
無精と怠け癖など、誰が称賛いたそうぞ。
まあまあ、何故つまらぬことを力説いたすのか。
無精と怠け癖の結果、我が家の「板廂」は朽ち、にわには「猫じゃらし」がで荒れ放題。
一昨日のこと、かかる人を人とも思わない「猫じゃらし」など引き抜き、せめて形ばかりの掃除などをして茅屋を磨かんと思い立ったのです。
流れ落ちる汗を拳で押し拭い、ふと見見る地面に吹き出た新芽。
俳句歳時記では「秋の芽」と言うそうですが、何やら名の知れぬ新芽が出ているじゃあ~りませんか。
どうせ暇なる爺、この「秋の芽」を手に、左見右見(とみこうみ)眺めました。
いつの日であったか、椿の不要枝を剪り棄て、放置しておいた毎度の無精が、ここに花開いたのでしょう。
剪り棄てた枝に吹いた芽、まことに自然の極致、天然の美。
愚老急ぎ鉢に取り込みました。
愚老の目が黒い内か、白目を剥いて病に伏せる日か、椿は開花することでしょう。
ところで、我がパソコンは変換作業を嫌い、爺の指示通りには動きません。
歳時記「秋の芽」など、細事奇「秋の目」から「秋飲め」に変換し、澄ましてゴザル。
「秋飲め」はいい。飲みますよ。
駄句5句と愚歌1首。
捨て枝に秋の芽出たる陋居かな
秋の芽は茅屋少し飾るかな
椿の根挿して秋には小苗なり
椿の根捨てたるものを挿しおきぬ
茅屋の飾りになれや花木槿
茅屋の飾りに咲けや紅椿枝幾筋か挿しおきにけり