写真は山百合(別名鳳来寺百合)。
「山百合」の名の淡泊な、また即物的な名に比べ、別名「鳳来寺百合」のなんと厳かなことか。
山間の荒草の中に山百合(実は何を隠そう、鳳来寺百合の世を忍ぶ仮の名なり)を見かけたら、一瞥でその場を立ち去ることは許されませんぞ。
しばし足を止め「色即是空 空即是色」などと唱え、合掌、礼など致す雰囲気になるではありませんか。
愚老なども「愚老」などと、洟垂れ爺の名は捨て、「賢老」と名乗ることに致そうか、と思うのです。
かかる妄想に囚われるゆえに、「ボケ爺」だの「加齢爺」と評されるのであります。
でもね、山百合は美しい。
凛として
先日亡くなられた作詞家の横井弘氏は、
【高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い】
と書かれました。
「百合の夢よりあざみの夢」にわが想いは託したい」
とのことでありますが、愚老、訂正賢老はわが想いを百合にこそ託したいのです。
あざみはねえ、トゲが障壁になるのですよ。
我が家のあざみ嬢は3株あるのですが、いつの間にか「燃ゆる花」は散って、トゲ混じりの葉は健在ながら、今や競って白髪頭を振り立てています。
喩えると「タンポポおばあ」でしょうか。
「タンポポおばあ」はなかなか賢老の想いを聞いてくれそうにもありませんぜ。
山百合は美しい。
この山百合を改良親として様々な百合が作られたのですね。
オリエンタル・ハイブリッド(カサブランカも含む)というようです。
我が家の百合嬢は写真で御覧の通り、七難隠す美白の上に、雄蘂の赤が強烈。
ところで、高原からの誘いがありますので、明日からしばし休養におもむきます。
地ビールを頂き、地酒を思いっきり吞み、高原の生物を写真におさめ、あることないこと連想致しまして、駄文を弄するつもりです。
駄句6句と愚歌1首。
百合の花赤き雄蘂の舞ひ踊る
百合の花斑点無きは乙女かな
花見ての余韻は要らぬ百合の香や
山百合の夏ごとに花数見せて
書斎には山百合の香は要らぬなり
擬宝珠の花梅雨に傘させるごと
山百合は勿体なや鳳来寺なる寺号を持つ花は俯きぬ